夫が亡くなった数年後に、渥美清さんからの電話
――末盛さんご自身は、いつ頃が一番辛かったですか。
末盛 やっぱり、3年くらいは大変でした。だけど、1年間はその本を作ろうと思って何しろ頑張って。他の人の目に映る夫の姿ではなくて、息子たちに伝えたい父親の姿を本に残したいという思いで編集しました。
末盛は「夢であいましょう」の頃から、永六輔さんや渥美清さんと仕事をしていて、末盛が亡くなった数年後に、永さんや仲間の人たちが記念のようなショーをシアターコクーンで開いてくださるようなことがありました。そのときに、永さんが「末盛さんの息子さんたちのためにこういうことをしたい」と皆さんに書いてくださったらしいのね。そうしたら、ある日「あの、渥美ですが」って静かな男の人の声で電話がかかってきたんです。他に渥美という名前の人は知らなかったから、びっくりしてしまって(笑)。「永さんからこういうのが来ましたけど、それは本当にお宅の息子さんたちのためになりますか?」とおっしゃるので、「私としてはありがたいと思っています」と申し上げると、「そうですか、それだったらいいんです」と心配してくださいました。渥美さんは、フランス座で前座をしていた頃に末盛が声をかけたみたいで、そのことをとても大切に感じてくださっていたようです。なんだか素敵ですよね。
――200通以上の憲彦さんを悼む手紙が届いて、『テレビディレクター 末盛憲彦の世界』は、私家版なのに重版したほどだったそうですね。
末盛 みんな、それぞれの悲しみがあったんだと思うんですよね。本が完成した時に、永さんの音頭で渋谷の「ジァン・ジァン」という小さな会場で出版記念会が開かれました。最後の番組の出演者だった武原はんさんまでおいでになって。司会の永さんには前もって見本をお届けしたほうがいいと思って、マネージャーの人に頼んでいたのね。そうしたら、旅先の沖縄からハガキが届いて、表面には住所と「末盛さんちの奥さん」、裏にはただ一言「ぼくの時にもあなたに作ってもらいたい」と書かれていました。本当に色々な方から、エールをもらったという感じがしました。
――息子さんたちにとってはかけがえのない父、末盛さんにとっては望み得る最高の夫であった憲彦さんが亡くなってから知った、意外な一面というのはありましたか。
末盛 仲間内では有名だったらしいんですけど、ポルノグラフィー好きだったのね。雑誌や何かの。自分の番組についての記事とかそういうものと全部一緒くたになっていて、亡くなった後にそれを片付けるのがすごく大変だったんです。そうしたら、色々な人たちが一人ずつこっそりと「スエさんの宝物、どうしました?」って聞きにくるのね。それで「捨てましたよ」って言うと、みんな「もったいない」って言うの。「男の人たちってみんなこうなんだ」と思って、おかしかったですね(笑)。
だけど亡くなった直後は、そういう色々なことに対して、彼のことを本当には分かってあげられていなかったんだ、と自分を責める思いがすごくあったんです。ただ、それを妻に見せないというのは、ある意味で紳士なわけじゃないですか。だからそれでよかったんだと思っています。こちらが勝手に傷ついただけでね。でも、例えば父だってヌードの彫刻やデッサンを作っていたのに、考えてみれば不思議なことですよね。
――そのことを、息子さんたちに話したことはありますか?
末盛 彼らが高校生くらいになった頃に「パパがね」って話したことがありますよ。「だって男なんだから、当たり前だろ」としか言わなくて、彼らは全然意に介さずに、私には何の同情もないのね。そうか、これでいいんだと思いました。
(後編 夫の看取りと、車椅子で生活する長男との2人暮らしで知った「幸せとは、自分の運命を受け容れること」の意味 へ続く)
写真=末永裕樹/文藝春秋
すえもり・ちえこ/1941年東京生まれ。父は彫刻家の舟越保武で、高村光太郎によって「千枝子」と名付けられる。慶應義塾大学卒業後、絵本の出版社である至光社で働く。1986年には絵本『あさ One morning』(舟越カンナ 文・井沢洋二 絵)でボローニャ国際児童図書展グランプリを受賞、ニューヨーク・タイムズ年間最優秀絵本にも選ばれた。1988年に株式会社すえもりブックスを立ち上げ、独立。まど・みちおの詩を上皇后さまが選・英訳された『THE ANIMALS「どうぶつたち」』や、上皇后さまのご講演をまとめた『橋をかける 子供時代の読書の思い出』など、話題作を次々に出版。2010年から岩手県八幡平市に移住し、その地で東日本大震災に遭う。2019年12月現在は、被災した子どもたちに絵本を届ける「3.11絵本プロジェクトいわて」の代表を務めている。著書に『「私」を受け容れて生きる』『根っこと翼・皇后美智子さまという存在の輝き』『ことばのともしび』『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』『小さな幸せをひとつひとつ数える』などがある。