「私が待っていた人はこの人なのかも知れない」
――最初に結婚された、末盛憲彦さんとのお見合いは島多代さんご夫妻を交えた食事会だったそうですね。
末盛 そう、原宿に「福禄寿飯店」という中華料理屋さんがあったんです。私が30になるくらいの頃に、アメリカ帰りで、フリーのアドバイザー兼編集者をしていた島さんから「仕事もいいけど、自分の人生をどう考えているの」と真剣に聞かれました。「別に、独身主義なわけじゃないけど」と言ったと思うんですけどね。そうしたら、ニューヨーク時代の友達のお兄さんにこういう人がいる、と言って。私、テレビの人と関わるとは思ってもいなかったんです。それに元々こういうタイプが好き、というのはあまりない方なんだけれど、ヒゲのそり跡の濃い男性だけは苦手だと思っていたら、お店に現れたのは、体が大きくてヒゲのそり跡のものすごい濃い人でした(笑)。
――どうして一度会ってみようと思ったんですか?
末盛 島さんが、末盛は少し前に人の紹介で結婚したけれど、瞬く間にだめになってしまったということを説明してくれました。それだけだったら、私はあまり関心がわかなかったかもしれないけど、何かの縁で一度は結婚したのだから、その人にもなんとか幸せになってもらいたいと話していると聞いて、「ちょっと会ってみようかしら」と言ってしまったんです。それからすぐさま、2、3日後には食事会が決まって。その後2人きりで話しているうちに、この人はとてもいい人だ、と感じるようになりました。穏やかな話し方で、華やかな番組を手がけているのに、とても謙虚な人でした。
――「私が待っていた人はこの人なのかも知れない」とさえ思ったと著書で振り返られています。当時末盛さんは30歳で、結婚願望みたいなものはありましたか。
末盛 願望というほどではないけれど……。というか今と時代が全然違うなと思うのは、私が25になった頃に新卒で至光社に入ってきた若い女の子が、私に向かって、「舟越さん、どうして結婚しなかったんですか?」って聞いたのね。若い女の子でさえ、そういう風に見ている時代だったんですよね。あのときのショックはちょっと忘れられないです。
ただ、私の母が、「結婚はしたほうがいい」というようなことは時々言っていたと思います。それと、結婚してから出会ういいことや困難なことを経験するということは、人間にとってとても大切なんじゃないかとはずっと思っていたんです。結婚してみて、彼のような仕事をする人は、外からは派手に見えても、決してそうではなく、コツコツと働き詰めで自分の作りたい番組を作っているというのがよく分かりました。
――ご長男が生まれる時、仕事が忙しくて立ち会えなかった憲彦さんが、消灯後の病院に手紙を届けたというエピソードが心に残りました。
末盛 彼は本当にまめで優しくて、けんかが成り立たないことが不満だったくらいです。要するに、こちらが何か言うでしょう。そうすると「そんなこと言うの、よしなさいよ」って言うだけなの。本当にいい人でしたね。子育てが始まると、できることには何でも参加したかったようで、仕事から帰るとなんとおむつにアイロンをかけるんです。大勢の弟妹に囲まれて育った私は本当にびっくりして、親類中で「ノリちゃんのアイロンがけ」と話題になったほどです(笑)。