歴史学がタコツボ化しては、大きな謎を提示できない
――現在83歳。先ほどは孤立した思想家でいたいと仰いましたが、これから取り組みたいテーマはなんでしょうか。
西尾 500年史観ということを考え続けています。以前『正論』に「戦争史観の転換」を題材にした連載をしていて、35枚の18回で約650枚くらい書いたのですが、2年前に病気をしてしまい中断しています。これは500年戦争史論といったものですが、日本の欧米との争い、戦いを「15年戦争」や「ペリー来航以来の」というくくりではなく、もっと大きな文明の物語として捉え直してみようとする試みです。
――それは、ややもすれば専門性に偏り過ぎてしまい、全体像を示すことを忘れがちな最近の研究者、論者への強いメッセージにも聞こえます。
西尾 歴史学会は特に細分化がひどくなっていますね。流通史、外交史、女性史と言ったテーマ軸に、古代史、中世史、近世史、近代史と縦割りがクロスされる。そうすると古代流通史とか中世女性史のように小さな箱がたくさんできてしまう。そして、専門家はその箱を飛び出して大胆な議論を展開することができない。このタコツボ化がもたらす弊害は、歴史がまだ明らかにしていない大きな謎を提示できないことにつながるのではないでしょうか。
――謎とは例えばどのようなものでしょうか。
西尾 遣唐使廃止、鉄砲伝来、ザビエルの来日といった日本と諸外国の関係は、中国やヨーロッパが日本をどう見ていたかというところまで視野を広げなければ解き明かせない事象です。中国史やヨーロッパ史を広く展望して、そこに日本を置くという必要がある。
こうして世界史の中に置かれた日本という、垣根のない歴史の見方をしたときに見えてくるのが未だ人類が解いていない歴史的な謎だと思うんです。遣唐使廃止は唐の崩壊と連動しています。古代帝国の消滅によって天皇制度に変化が起きた。それはどうしてか。こうした大きな謎を語り教えるのが歴史研究の本来の姿ではないでしょうか。歴史家がタコ壷に入っていては見るべきものも見えません。
勇気の欠落は全ての悪、ということですね
――歴史家としての「実証か物語か」への見解から半世紀以上にわたる言論人としての姿勢をお伺いしながら、そこに“最後の言論人”としての覚悟を感じる思いでした。西尾さんが論壇の長老としてこれからの言論人に言い遺しておきたいことがあるとすれば、何でしょうか。
西尾 勇気の欠落は全ての悪、ということですね。私が覚えているのは、訓練後の米軍機が故障を発生して沖縄の海岸に不時着した事故があったときに、日本政府は、市街地を避けた米軍パイロットに対して「ありがとう」の一言も言えなかったこと。現地の騒ぎを怖れたからです。沖縄が抱えている状況はそれとして、大惨事を避けようとした行動に対し、なぜ感謝することができなかったのか。
政治的立場、思想的立場、人にはさまざまな役割と立場が存在します。しかし、時には立場を超えて言うべきことを言う勇気が必要です。当たり前のことですが、これからの言論の世界に必要なものはそうした勇気ではないですか。私はそう信じています。
写真=佐藤亘/文藝春秋
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