言葉は何を体験したかで解釈が変わる
――主人公の里沙子や、被告となった瑞穂はどんな女性をイメージしていましたか。
角田 主人公はやはりちょっと神経質で、でも、考えているふりをして考えていないタイプの人でしょうね。子供を殺してしまった女性に関しては、私も書いていて全然分からなかった。どうだったのかは、最後までちょっと分からないですよね。
――それぞれの夫はどうでしょうか。
角田 主人公の夫はやはり、考えないタイプの人でしょうか。でも2人とも、周りから見たら誰もが「いい人じゃない?」って思うような人ですよね。
――無意識のうちに妻よりも上に立った物言いをする人ですよね。そういう男性は多いのかなと思います。『私のなかの彼女』(13年新潮社刊)でも、学生時代からクリエイターとして活躍している男性が、恋人のことを見下していましたよね。
角田 『私のなかの彼女』ははっきりとそういう男性を書きましたね。仕事に関して、俺より前に出るな、という。そういう人を書きたかったんですけれど、今回はそこまでマウンティングしてくる感じを書きたいわけではなかったんです。でも結果的に書いているというのは、そういう現実があるからだと思うんですよね。女の子が頑張って、頑張って頑張って、すごく頑張ってたくさん稼ぐようになって自立して、自分でなんでも欲しいものを買えるようになることについて、周りが褒める社会かというと、全然違う気がします。それが不思議なんです。たぶん、そういう疑問が私の中に根強くあるので、何か書こうとする時にどうしても出てきてしまうんだと思うんですよね。これが現実じゃないか、っていう思いがあります。
――その嫌な感じを分かりやすくデフォルメして描くのではなく、微妙なさじ加減で描くところが巧いですよね。経験した人でなければこの嫌さって分からないかもしれないし、周囲に分かってもらいにくいからこそ大変だな、と思いました。
角田 そうですよね。言葉の面白さって、そういうところにあるなと思って。たとえば友達が「彼氏が私のことを『おまえバカだな』って言うの」って、のろけ話として話したとして、「いいわね、仲良くて」と言える人もいれば、「なんでその人、平気で『バカ』とか言うの?」と言う人もいる。後者は周りから過剰な反応に見えると思うんですよね。でも、何をその人が体験したかによって、言葉の意味がまったく変わってしまっている。しかもそれが密室の中というか、2人のルールのなかで出ている言葉だから、それを外に持ち出しても通用しないんですよね。それを書きたかった。
――裁判員の主人公も、被告の女性も、実の両親とあまり仲がよくないですよね。そうした母と娘にしたのはどうしてでしょうか。
角田 被告の女は子供を虐待してその席にいるわけだけれども、本当にこの人が単独で殺したのかという気持ちがあったんです。親や義母たちも非協力的で、手助けがないことによって、みんなが被告の女の背中を押したんじゃないの、という気持ちがありました。被告の女性の孤立無援の状態を書きたかったので、設定的にも親とうまくいっていないことにして、彼女と似た状況の主人公にしたかったので、主人公側も親と仲が悪いという設定になりました。
――孤立無援状態って怖いですよね。それこそ密室に閉じ込められているかのようで、どんどん自分を精神的に追い詰めてしまいそう。
角田 そう、だからこの被告は、仕事を辞めるべきじゃなかったんですよね。社会に復帰しないと、もうどうにもならなかったと思う。主人公の女性は、補欠裁判員という経験を通して社会との接点を持ったから、自分の状況を客観的に見られるようになっていく。
最後、主人公はどうしたらいいんだろうと悩みました。家を出たり離婚するのは不可能ですよね。となると、今日はもう、飲みに行こう、その後で考えよう、みたいな感じになりますよね(笑)。