1ページ目から読む
3/6ページ目

純文学でデビュー、これからはミステリーも

――この作品は帯に「心理サスペンス」とありますが、サスペンスは意識されていましたか。角田さんはある時期から、ミステリーテイストのものをお書きになるようになりましたが、転換点はどこにあったのかも気になります。

角田 ある時期から、ストーリー重視になったんですよね。『空中庭園』(02年刊/のち文春文庫)以降ですね。その頃に『このミステリーがすごい!』、いわゆる「このミス」に夢中になった時期があり、私も「このミス」の中に入りたいと思ったり(笑)。それが30代になってからでした。そこから人から薦められたミステリーを読んでいきました。そうすると、自分がミステリーを書くのは無理だと分かりました。サスペンスはまだ書くことができるかもしれないけれど、ミステリーは、まあ自分には書けないなと。意識としては、もうちょっと勉強を続けて、ミステリーに関しては60歳くらいになった時に書けたらいいなと思いますね。で、「このミス」に入りたい(笑)。

空中庭園 (文春文庫)

角田 光代(著)

文藝春秋
2005年7月8日 発売

購入する
瀧井朝世

――10年くらい前にお会いした時に、角田さんがミステリーを読み始めたと言っていて、叙述ミステリーの話をしたのを憶えています。

ADVERTISEMENT

角田 そうそうそう! 男だと思い込んでいた登場人物が実は女だったとかするミステリーですよね。最初は人に「叙述ミステリーって知ってる?」と聞かれて「何それ」という感じだったんです。「どんな字を書くの?」って(笑)。その時にはじめて読んで、「こういうのってありなの?」と驚きました。でも自分で書こうとは思いませんでした。トリックが思いつかないし、話を引っ張っていくような謎が思いつかないんです。でも、60歳くらいになったら、倒叙ミステリーがやりたいです(笑)。

――倒叙というのは、あらかじめ犯人が分かっているミステリー。テレビドラマの「刑事コロンボ」シリーズがそうでしたよね。

角田 そうです。私、コロンボを1話ずつ見て勉強したんです(笑)。それはわりと最近の話ですね。

――では、最初に小説を書き始めたのはいつくらいだったのでしょうか。

角田 小さい頃、『ちいさいモモちゃん』とかを読んだあとくらいに、作家になりたいと思ったんです。でも作文はたくさん書きましたが、小説はどう書けばいいのかわからなかった。本格的なものではなかったですね。本格的に書き始めたのは早稲田大学の文芸に入ってからです。

――その頃書いていたのは、純文学系なのでしょうか。

角田 そうですね。ミステリーを知らなかったくらいなので、自分のなかで小説=純文だったんですよね。文芸誌しか知らなくて、そこに載っているようなものが小説だと思っていました。自分で読むものも、高校生の時は本当に情報がなくて、それこそ梶井基次郎とか太宰治とか谷崎潤一郎といった、一般教養として読むような大御所のものばかり読んでいました。

――現代作家のものをあまり読まずに、でも作家になりたいと思ったということは、そうした大御所たちみたいな小説を書きたいと思っていたのでしょうか……。

角田 書くことは好きだったんです。でも中高生の頃にそうした死んだ作家の小説ばかり読んで、こんなの自分には書けないじゃんってなりました。じゃあどうしたらいいんだろうかと考えて、大学に行けば教えてくれるだろう、ということで早稲田の文芸を受けたんです。入ってみたら、小説を書くことが課題の授業があるので、それはよかったですね。

 小説家の秦恒平という先生の授業の第1回目で、1学年上の人の小説を読んでくれたんですよね。それが口語で書いてあって、「あ、これでいいんだ」「谷崎みたいな文体じゃなくていいんだ」って、スーッと楽になりました。それで口語で書いたら、次の授業で先生が一番良かったといって、それを読んでくれたんです。その時にもうなんていうか、「やった!」みたいな(笑)。この学校に来た意味はあったし、このままいけば大丈夫だって思いました(笑)。

――それで、在学中から新人賞への応募を始めたんですよね。

角田 「やった!」のすぐあと秋には応募しました。19歳でしたね。応募したのは『すばる』でした。

――純文学系のすばる文学賞。どうしてそこを選んだのですか。

角田 傾向と対策ですよね。その時は文芸誌しか知らなかったので、『すばる』と『群像』、『新潮』、『文學界』、『海燕』を読んで、『すばる』だな、と。なんか、難しくないものや柔らかいものを見捨てないと思ったんですよね。で、絶対無理だと思ったのは『群像』と『新潮』かな。アバンギャルドさというか、文学的な企みというか、目だった知性がないと無理だなと思いました。