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すそを押さえるためにロープから手を放して墜死した女店員も

 また、当時の藤田惣三郎・日本橋消防署長も「週刊東京」1956年11月24日号でこう語っている。「あのころの女性はほとんど和服で、下着も洋服のように肌にぴったりついたものがなく、救助袋の中を滑り降りてくるとすそがはだけてしまい、下半身があらわになるなど、女性にとっては随分恥ずかしいことも相当あったのでしょう。みすみす脱出しながら、すそを押さえるためにロープから手を放して墜死した女店員もありました」。このあたりが実態ではなかったのだろうか。

 和服の下は腰巻だけで、ほかに下着を着けていない若い女性が恥ずかしがるのは想像できる。だが、生死の境となる火事現場であれば、元消防署長や元放水長の言うようなことが現実だったのではないか。中には恥ずかしがっているうちに墜落するなどして死んだりケガをしたりした人もいたかもしれないが、それは伝説として伝わっている情景とはだいぶ違っていたと考えられる。

©iStock.com

「火と水の文化史」も「白木屋ズロース伝説」を受け入れながらも、「死亡原因は、初期消火に当たって煙に巻かれて窒息死した1人を除き、4人は7階から飛び降りて死亡し、他は帯や反物をつなぎ合わせて降下中に力尽きて墜落したり、雨どいを伝って下りる途中で落下した人たちだった」としている。

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「飛び降りろ、飛び降りろ」という野次馬があった

 もう一つ、気になることがある。「天災は忘れたころにやってくる」という格言で知られる科学者で、夏目漱石門下の随筆家でもある寺田寅彦が白木屋火事について書いている。

「実に驚くべき非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学も一切無視した、5階飛び降りを激励するようなことがなかったら、可惜(あたら)美しい青春の花の莟(つぼみ)を鋪道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。このようにして、白昼帝都の真中で衆人環視の中に行われた殺人事件は、不思議にも司直の追及を受けず、また、市人の何びともこれをとがむることなしに、そのままに忘却の闇に葬られてしまった。実に不可解な現象と言わなければなるまい」(「火事教育」)。

寺田寅彦 ©文藝春秋

「殺人」とは穏やかでないが、火災5日後の懇談会で早川警視庁消防部長も言っている。「(避難者は)非常に飛び降りに焦りまして、また見ている人たちが、避難者が随分高い所にいるのにもかかわらず、狂気のようになりまして『飛び降りろ、飛び降りろ』と言うのが多かったのであります」。

 山田忍三専務も「下にいるたくさんの野次馬が『飛び降りろ、飛び降りろ』と騒ぐので、ついそれに誘われて飛び降りて死んだ者もあったようですが、野次馬もこんな無責任な馬鹿なことを言わないようにしてもらいたいものです」と語っている。専務の言葉に責任逃れの意図があったとしても、現場で、野次馬たちがはやし立てて飛び降りを勧め、結果的に、不安と焦燥に駆られた女性たちを墜落死に誘導するようなことがあったのは間違いないようだ。