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関東大震災以後、ズロースへの社会的評価は変わってきていた

 ズロースに話を戻せば、青木英夫「下着の文化史」は「この火事があって以来、ズロースをはく人が増加してきた。といっても、せいぜい1%ぐらいだった」「実際にはズロースの着用は、その火事が起きてから10年ぐらいたってから社会的認識が高まってきた。それがズロースの使用を促すこととなった」と、「白木屋ズロース伝説」に部分的に疑問を呈している。

 村上信彦「女の風俗史」も「やはり、それが純粋の動機とは申せません」「そのために(ズロースを)はき出した人たちも、(関東大震災が起きた)大正12年以後10年間のうちに、ズロースへの社会的評価が少しずつ変わってきたからで、本当の原因はそれら『事件』にあるのではなく、女の生活の変化にあったのです」と言う。

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「ズロースなんて、いやらしくてはけない」

「下着の文化史」によれば、大正時代からの女性の社会進出と関連して「カフェの女給は、たいていは白いエプロン姿で、着物の上に着付けていた。しかしこれは、別に洋装の下着を着けていたわけではなく、腰巻姿であった」「上に着るものが洋装化していても、下に着る下着が必ずしも全て洋装化したというわけではなかった。洋服の下に腰巻というのもかなりあった。当時は大体洋服の半分ぐらいの人が下は腰巻だったといわれている」と述べている。

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 理由として「女性にとっては、ズロースをはくことは、感覚的には局部を冒瀆するような一種の恥ずかしさを与えた。それは、腰巻の下で解放的であった皮膚は、理屈では分かっていても、感覚的には何か抵抗を感じたのである。いわば感性と理性の戦いであり、新しい服装には想像以上に難しい問題があったのである」と書いている。

「女の風俗史」も「ズロースはオコシ(腰巻)と違って肌に密着する下ばきです。これは着物生活にはない経験で、本来局部を保護するものでありながら、何かいやらしい感じを与えたのです」と書いている。ある待合の女将は「腰巻では『頼りない』ことを十分認めながら、『ズロースなんて、いやらしくてはけない』と私に告白しました」という。

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