SNS時代の天皇制を予感させる言葉
「平成最後の」が使えるようになったのは、いうまでもなく、約200年ぶりに実現した生前退位のおかげだった。これまで年号の終わりは直ちに天皇の死を意味したため、「大正最後の春」「昭和最後の夏」などとは大っぴらに言えなかった。
周知のとおり、平成の天皇は、昭和天皇という「巨大な存在」のあと、いかに天皇制を変わりゆく時代に維持・定着させるかに心を砕いてきた。その帰結が全国への旅であり、国民への寄り添いであり、そしてまた「お気持ち表明」からの生前退位だった。
それにより解禁された「平成最後の」という言葉は、結果的にSNSにうまくマッチし、天皇制の自然な浸透を実現した。その効果は、アイドルを客寄せ的に使った保守派のイベントよりも、遥かに大きかっただろう。
たしかに、明治憲法下においては、仰々しい式典が国威発揚に利用され、天皇の権威確立に貢献した。古代から行われてきた大嘗祭も、この時代に大掛かりなものになった。今回もそれが踏襲され、多額の国費が投入されたこと(そしてそれに秋篠宮が苦言を呈したものの、容れられなかったこと)は、あらためて繰り返すまでもない。
しかし、主権在民のSNS時代にあっては、むしろ「大喜利」に使える言葉を広めたほうが、天皇制を無理なく浸透させられるだろう。いわば、最強のインフルエンサーとしての天皇である。
Managed a selfie with HIH Prince Naruhito , Crown Prince of Japan during official lunch at Sri Perdana today. pic.twitter.com/p8LI3miPsT
— Mohd Najib Tun Razak (@NajibRazak) April 15, 2017
その意味で「平成最後の」は、SNS時代の天皇制をどこか予感させる言葉だった。“天皇尽くし”の2019年のなかから、あえてこの言葉を選んだゆえんもこれにほかならない。