『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(牧 久 著)

「富塚三夫」という名前を見て、即座にその顔を思い浮かべられる読者はまだ多いはずだ。日本最大の労働組合・総評(日本労働組合総評議会)の事務局長を長らくつとめた富塚のイメージは、重厚な労組官僚といったものであった。

 その富塚が料亭での密談で、みずから土下座する場面が本書には出てくる。当時の肩書きは国労(国鉄〈日本国有鉄道〉労働組合)の部長。土下座の相手は国鉄当局の職員局長である。

「今後一切あなたのいうことを聞く」

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 と懇願する富塚を見おろして、局長は、

「富塚、お前(中略)徹底的にやろうじゃないか」

 と啖呵(たんか)を切る。すると、富塚は顔色を変え、

「馬鹿にするな、俺は福島の水飲み百姓だ」

 激昂して目の前の膳台を料理ごと引っくり返し、仁王立ちになるのである。

 かつて流布していた労使の“馴れ合い”という見方は、この描写だけによっても一変しよう。「国鉄」が「JR」に変わる過程の水面下では、こんな熾烈(しれつ)なやりとりが繰り返され、攻守ところを変えながら、憎悪をつのらせていった。当局と労組の裏側でも、食うか食われるかの内紛が続いた。その一方、田中角栄と労組の重鎮が同郷の戦友で、始終ひそかに連絡を取り合っていたというのだから、話は一筋縄ではいかない。

 私はつい、自民党・宏池会の事務局長をつとめた伊藤昌哉の『自民党戦国史』や、田中角栄の秘書だった早坂茂三の一連の著作を思い起こしたのだが、これらはいわば側近による回顧録であった。著者は違う。日本経済新聞の担当記者として両陣営に食い込み、地道な取材を重ねたアウトサイダーなのである。

 国鉄の“分割・民営化”三十年目にあたる先ごろ出版されたこの大著には、中曽根康弘ら当事者への新たな取材も盛り込まれ、著者の言う「戦後最大級の政治経済事件」を日本のみならず世界の現代史に正確に位置づけようとする気概が滲(にじ)み出ている。分割・民営化の末、総評が解散した一九八九年(平成元年)にベルリンの壁が崩れ落ち、東西冷戦が終結したのは、決して偶然の一致ではない。

 強大な労組の崩壊はまた、働く人々が分断され、裸同然のまま職場の寒風に晒(さら)される時代をもまねいた。

 同業者としていえば、このテーマでの取材と執筆は困難を極めたはずで、複雑に入り組んだ人間関係や事の経緯(いきさつ)を、よくぞ読ませる物語(ストーリー)にまとめあげたものだと感嘆した。特に何らかの組織改革に直面している個人や集団にとっては、今後必読のテキストとなろう。

まきひさし/1941年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社に入社し、東京本社編集局社会部に所属。サイゴン・シンガポール特派員、代表取締役副社長などを経て、テレビ大阪会長に。著書に『サイゴンの火焔樹』『「安南王国」の夢』など。

のむらすすむ/1956年生まれ。97年『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『千年企業の大逆転』など著書多数。

昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実

牧 久(著)

講談社
2017年3月16日 発売

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