「名言」というわけでは決してないのだけれど、はいそうですか、と聞き流していい言葉でもない気がしたので。
2019年7月、アニメ製作会社「京都アニメーション」が襲撃され、社員36人が死亡、33人が負傷する事件が発生しました。事件後、青葉真司容疑者自身も重篤な状態にありましたが、現在は一命を取り留め、快方へ向かっているといいます。
何とも言えぬような、暗澹たる気持ちに
そして11月。京都新聞が報じたのは、青葉容疑者が大阪から京都の病院へ転院する際に、治療に携わったスタッフに述べた「感謝の言葉」でした。
「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」
この言葉を耳にしたとき、何とも言えぬような、暗澹たる気持ちになりました。念のために言っておくと、私には青葉容疑者を擁護する気はもちろんないし、彼の不幸な生い立ちが凄惨な事件を引き起こしたとか、そんなことを言うつもりもなければ、思ってもいません。青葉容疑者が送ってきた人生を振り返り、何が事件に繋がったのかを憶測で語るつもりもありません。明確な殺意のもとに多大な犠牲者を出してしまったのですから、彼の犯した罪は、到底許されるものでは決してないでしょう。
しかしながら、今後、二度と同じような事件を招かないためには、結果的に事件につながりうる要素はすべて拾い上げて、まじまじと見つめ直す必要があると思うのです。
浮き彫りになった「地域社会」の重要性
今年、様々な事件を通して改めて感じたのは、失われてしまいつつある「地域社会」の必要性でした。
犯人の素顔を報じるニュースでは「引きこもり」「家庭内暴力」「子供部屋おじさん」などの言葉がたびたび使われていて、中には「引きこもりは犯罪者予備軍だ」といった偏見を助長しかねないものもあり、識者たちが行きすぎた表現に歯止めをかけようとする動きも見られました。