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小沢一郎と中村喜四郎が知恵袋に?

鹿島 そうなってくると、自民党が大人の政党だったことを叩きこまれてよく知っている人って、政界には誰が残っているんでしょうか。

地獄耳 かつては、ベテランになればなるほど振る舞いが丁寧になってくるという自民党のすごみが確かにあったんですよ。細川政権や鳩山政権の時には自民党から飛び出した人たちがいっぱいいたので、かつての野党も「政権とは何か、与党とは何か」ということをよく知っていた。だけど今、自民党出身でそのことを分かっている人が野党全体にどれくらいいるだろうか……と考えると、結局小沢一郎さんと中村喜四郎さんかなと。

鹿島 逆に言えば、まだ小沢さんと中村喜四郎さんが知恵袋にならなくちゃいけないというのが、現状を見る思いですね。

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地獄耳 ところが今ね、野党の中で中村喜四郎さんが脚光を浴びているのは、小沢さんみたいに自分を押し付けないからなんです。もちろん一度はゼネコン汚職事件で逮捕されて議員失職した人なので、政治的に特別なポジションを得ることはないかもしれないけれども、当選回数14回・無所属の中村喜四郎という男の生き方は一つのキーワードかもしれないですよ。遅咲きの昭和の政治家が平成の30年間沈黙を守って、ついに令和に目覚めたら、ひょっとして野党取りまとめの救世主になるとかね。寡黙な男が本当に怒っているというのは、説得力があるし。

中村喜四郎衆院議員 ©時事通信社

鹿島 ああ、そうか。平成の間、雌伏して時を待っていたと思えばゾクゾクしますね。

地獄耳 こういう人って、なかなかいなかったんですよ。中村喜四郎は、かつて小沢一郎自民党幹事長時代の総務局長をやっていて、田中角栄の政治、田中角栄の選挙を学んだ。その後、2人は袂を分かち、接点はなくなったかに見え、今はまだちょっと距離があるようですけど、こういう政治のドロドロしたところを分かっている人たちが野党でタッグを組むと、だいぶ空気は変わるかもしれない。中村喜四郎は野党を「子ども」だと言っていましたけど、それを大人にしてくれるのは、もしかしたら彼自身なのかもしれません。

「山本太郎現象」から、失われた自民党寄りの匂い

鹿島 中村喜四郎さんは全然メディアに出なかった人で、『無敗の男』と朝日新聞のインタビューくらいからでしたよね。自民党がどうやってダメになっていったか、そしていかに今の自民党に絶望しているかがものすごくよく分かる。僕は今年、「山本太郎現象」に、したたかさとフットワークの軽さ……ちょっと失われた自民党寄りの匂いを感じたんですが、地獄耳師匠はいかがですか。

地獄耳 なるほどね。タイプや時代は違うけど、田中角栄さんや竹下登さんは、とにかく一度会った人のことは忘れないんです。何でもかんでもよく覚えていて、「私のことだけでなく、娘の年や名前まで覚えていてくれた」と。それは虜になるじゃないですか。

 ネットだけじゃなくて、いろんな現場を見ていてつくづく感じたんですが、山本太郎さんはまず話術にとても長けていて、真夏の参院選で、都内の街頭演説に3000人を集めてしまう。彼はとにかく声を枯らして話しかけ、質問を投げかけることで、対話に持っていくんです。政治の世界では、対話集会や車座集会は少人数で膝をつきあわせてやるのがいいんだと言われるんですが、山本太郎は、数千人を相手に一人で立ち向かうんです。それでもみんな飽きないし、途中で帰らない。例えば小池百合子や小泉進次郎が来たといっても、対話集会にまで残っていこうと思う人はなかなかいないでしょ。今の政治家にとって、そう簡単にできることではないですよ。

れいわ新選組代表・山本太郎 ©AFLO

鹿島 対話って、まさに半径5メートル、10メートルの人を虜にする方法なんじゃないかと思っていて。あと、山本太郎さんは政策のことを語られがちなんですが、参院選の前に、「もし安倍首相から『山本さんの政策を一部採り入れるから手を組もう』と誘われたらどうしますか」と聞かれて、「自民党が本気で減税すると言うならば、そちらに乗ります。何がなんでも野党陣営ということではない。我々の政策が実現できるなら、手をつなげるところとはつなぎますよ」(「AERA」2019年6月24日号)と言っていたのが、政局好きの僕としてはすごく面白くて。ちょっと炎上しかけてましたけど。

地獄耳 実は野党の国民も立憲も、れいわ新選組と同じようなことを言っているんです。でも、迫力と覚悟が違う。つまり、「こういう政策を持っているんです」というのと、「皆さん、話しましょうよ。あなたのSOSを受け止めますよ」という気迫の違いですね。おかしな話があります。ミカン箱の上に乗って演説するのがいいらしいと聞くと、「じゃあ、俺たちもそうしよう」といって与野党ともにミカン箱。ある大臣経験者の議員が、「それなら俺もミカン箱やろう。汚いから洗ってこい」と言ったというんです。

鹿島 マニュアル、象徴としてのミカン箱になっちゃったわけですね。それじゃあ響かない。

 

地獄耳 2019年が選民意識の年だったこととつながるのは、山本太郎さんは、誰からも見向きもされない、一生懸命SOSを出しているけど行政にも振り向いてもらえないという思いを持っている人に、「最後に手を差し伸べてくれるんじゃないか」と期待してもいいかもしれないと思わせる政治家なんでしょうね。