いまから150年前のきょう、1867年4月30日(和暦では慶應3年3月26日)、時の将軍・徳川慶喜の名代としてフランスに派遣された徳川昭武(慶喜の弟、数え年で当時15歳)が、パリ万国博覧会を見学した。昭武はその2日前には、時のフランス皇帝ナポレオン3世に謁見、慶喜より託された国書を奉呈している。

 ナポレオン3世の治世下にあって盛大に開催された1867年のパリ万博は、日本が初参加した万博である。このとき、幕府のほか薩摩藩と佐賀藩が出展していた。7月1日には、出品物に対する賞牌授与式が行なわれ、幕府の出展した養蚕・漆器・工芸品・和紙に対し第一等の大賞牌(グランプリ)が贈られている。

パリ万博を訪れた徳川昭武 ©時事通信社

 昭武一行は1867年2月15日(慶應3年1月11日)、横浜をフランス郵船アルフェ号で出航、4月3日、マルセイユ港よりフランスに入る。パリ・リヨン駅に降り立ったのは4月11日だった。このときの様子は、1980年放送のNHK大河ドラマ『獅子の時代』の冒頭でも再現された。現代のリヨン駅をロケーションにチョンマゲ姿の侍たちが現れる演出は斬新だった。ちなみにこのドラマで昭武を演じたのは当時14歳の中村橋之助(現・芝翫)。また、現実の万博会場では幕府が日本茶屋を出し、芸者たちが評判をとったが、ドラマではそのひとりを大原麗子が演じ、主人公である菅原文太と加藤剛演じる架空の会津・薩摩両藩士とかかわるようになる。

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 昭武はこのあとも数年間、ヨーロッパ各地をまわりつつパリで留学生活を送る予定であったが、滞在中に幕府が大政奉還(1867年11月)して以降、事態は急変する。戊辰戦争に幕府が敗れ、江戸城を明け渡したあと、1868年7月4日(慶應4年5月15日)には新政府より昭武に帰国命令書が届けられる。こうして10月15日には昭武らはパリをあとにし、明治改元後の12月16日(明治元年11月3日)、帰国した。昭武に同行したなかには、渋沢栄一や佐野常民などといった人たちがおり、帰国後は日本の近代化に大きく貢献することになる。

渋沢栄一 ©文藝春秋

 なお、パリでは1867年と前後して、1855年、78年、89年、1900年、37年の万国博覧会のほか、さらに1925年の国際装飾博覧会などを加えると、第一次世界大戦期を除いてほぼ10年ごとに大規模な国際博覧会が開催されてきた(吉見俊哉『博覧会の政治学』中公新書)。そのパリは2025年の万国博覧会にも立候補、これに続いて大阪も去る4月24日、正式に開催招致に名乗りをあげた。万博に対してエキスパートであるパリに、はたして大阪は勝つための決定打を用意できるのだろうか。