勉強の目的とは、これまでとは違うバカになることなのです。
その前段階として、これまでのようなバカができなくなる段階がある。
まず、勉強とは、獲得ではないと考えてください。
勉強とは、喪失することです。
これまでのやり方でバカなことができる自分を喪失する。
これまでと同じ自分に、英語力とか何か、スキルや知識が付け加わるというイメージで勉強を捉えているのなら、勉強を深めることはできません。
単純にバカなノリ。みんなでワイワイやれる。これが、第一段階。
いったん、昔の自分がいなくなるという試練を通過する。これが、第二段階。
しかしその先で、来たるべきバカに変身する。第三段階。
いったんノリが悪くなる、バカができなくなるという第二段階を経て、第三段階に至る。すなわち、来たるべきバカの段階、“新たな意味でのノリ”を獲得する段階へと至る。
本書を通して、ノリという言葉の意味は、最終的に変化します。
バンドで演奏するときのような、集団的・共同的なノリから出発し、そこから分離するようなノリへと話を進めていく。それは「自己目的的」なノリである。
本書は、「原理編」から始まって「実践編」へと移ります。第一・二・三章が「原理編」の1・2・3、第三・四章が「実践編」の1・2という構成です。第三章は、両方の役割をもつ中継地点となります。
では、始めましょう。ともかくいったんは、ノリが悪くなることへ。
千葉雅也(ちば・まさや)
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生変化の哲学』、『別のしかたで――ツイッター哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(共訳)がある。