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小西康陽さんは「君をスターにする」と言った

 売れない時代はそうやってCMの歌唱をやったり、様々なアーティストのバックボーカルをやったりしていましたが、その中のひとつにピチカート・ファイヴのコーラスのお仕事もありました。

ピチカート・ファイヴのアルバム『女王陛下のピチカート・ファイヴ』は、1989年、CBS/SONYより発売。当時のメンバーは小西康陽、高浪慶太郎、田島貴男。3人のソングライターがそれぞれ曲を持ちより制作するスタイル。「架空のスパイ映画のサウンドトラック」がコンセプトだった。

 小西康陽さんと出会ったのは、89年の『女王陛下のピチカート・ファイヴ』のレコーディングのとき。ピチカートは、小西さん、高浪慶太郎さん、鴨宮諒さん、佐々木麻美子さんの4人で85年にデビューしたバンドで、佐々木さんが初代ボーカリスト。その後、2枚目のアルバムから田島貴男君がヴォーカリストになった。そして、3枚目の「女王陛下」では、ポータブル・ロックの鈴木君と中原君が、ギターとベースでレコーディングに参加するというので、私も見学に行ったんですね。そこで初めて小西さんとお会いするんですが、会うなり、「田島君と一緒に歌ってくれませんか?」って(笑)。「衛星中継」という曲をデュエットしました。

 実は、私たちがポータブル・ロックでデビューしたとき、慶一さんがMVを撮ってくれて、その上映会を兼ねたライブイベントを渋谷のパルコやったんです。それを小西さんがたまたま通りかかって観たらしいんです。ライブといっても、音響設備が整っていない会場なので、演奏はトラックを流して、私の歌だけ生、あとの楽器は当て振り、そういうライブ。まさに「ポータブル」な「ロック」だったんです。小西さんはそれに衝撃を受けたそうで、「こういうバンド形態もありかな」って。そこからピチカート・ファイヴというバンドの構想ができたと後に聞きました。

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『月面軟着陸』は1990年発売のアルバム。既存曲をリアレンジしリミックスした1枚。初代ボーカリストの佐々木麻美子、奥田民生や戸川京子なども参加している。

 ピチカートは、その翌年、90年に出たアルバム『月面軟着陸』でも何曲か参加しています。その年の全国ツアーでは、ライブのコーラスも担当しました。そうこうするうちに、田島君が自身のバンド、オリジナル・ラヴの活動に専念したいという話になり、小西さんから「これからはメインで歌ってほしい」と電話がかかってきたんです。「君をスターにする自信はあるから」って(笑)。

 振り返れば、私の人生って10年おきに変化が起きているんですね。30歳になったことだし、ここでまた新しいことにチャレンジするべきなんだろうなという思いもあって、ピチカートに加わることにしました。ポータブル・ロックのメンバーには「ちょっと行ってくるね」と言って。だからバンドは解散していない。いまもまだ続いているんです。お暇が長くなっちゃってますけれど(笑)。

 そして、私はピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカリストになりました。