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国民的人気は高いが、“黒幕”とは考えにくい

 ソレイマーニー氏はイラン南東部ケルマーンの出身で、小学校を出たかも定かではない貧困層の出身である。1979年のイラン革命とほぼ同時に革命防衛隊に加わり、イラン・イラク戦争中は兵站部門を担当。これといった武勇伝はない。演説も得意ではない。しかし、義理と人情に厚く、人望はあった。日本でいえば「健さん」タイプである。

 出身地がアフガニスタンと比較的近いこともあって、イランとアフガンのターリバーン政権(当時)との緊張が高まった1990年代後半にクドス部隊司令官に抜擢される。その後、アラブ諸国に活躍の舞台を移すが、そこでも戦略、戦術の立案役ではなく、人的ネットワークの調整役という役どころだった。

爆殺されたソレイマーニー氏 ©getty

 イラクについても、シーア派武装勢力の連合体である人民動員隊の中枢は、サッダーム・フセイン時代にイランに亡命していたイラク人ら(一部は亡命中、革命防衛隊員だった)が占めている。このため、彼の役割は亡命しなかったイラク土着のシーア派勢力(ムクタダ・サドル師の一派など)との紐帯を築くことで、駐留米軍基地攻撃の黒幕とは考えにくい。

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 最高指導者ハーメネイ師の名代で、かつ国民的人気も高い人物を殺害すれば、その反動が大きいことは明白である。そうまでしてトランプ政権は何を得ようとしたのか。その合理性が作戦からは全く見えなかった。

イランのデモや米軍基地攻撃は「ガス抜き」と見るべき

 ちなみにソレイマーニー爆殺で、イラン国内からは激高した民衆のデモや高官の激しい発言が伝えられている。しかし、これをそのまま受け止めてはならない。これは「タアズィーヤ」の一種である。シーア派は泣きの宗派だ。タアズィーヤは信奉するイマーム・フセインの殉教を悲しむ宗教行事で、このとき人びとは自らの体を流血するまで鎖で打ちつけて行進する。それでガスを抜くのである。

ソレイマーニー氏の死を悼む人々 ©AFLO

 今回と似た状況は1998年にアフガニスタンのイラン領事館がターリバーンに襲われ、外交官が10人殺害されたときにもあった。3日間の喪に服する期間が設けられたが、アフガン国境での大規模な軍事演習を実施しただけで衝突は避けられた。今回のイラク国内の米軍基地への攻撃も、国内のガス抜きが主眼だったとみてよいだろう。