出たがりと思われたらいやだな
――キャスティングということでいうと、宮藤さんの出演にはびっくりしました。
宮藤 恥ずかしかったです。演出の井上剛さんや大根仁さんから本打ち(脚本打ち合わせ)の時に「この役は宮藤さんがいいんじゃないですかね」と言われて……。
――志ん生役のたけしさんと、志ん生の長女役の小泉今日子さんを車に乗せる、運転手の役でした。
宮藤 (42話で)デザイナーの亀倉雄策さん(前野健太)と建築家の丹下健三さん(松田龍平)がタクシーに乗って聖火リレー踏査隊の話をしていたら、運転手の森西栄一さんが振り返って「俺じゃダメですか」と言うエピソードがありましたが、これは実話なんですよ。そのシーンがあったから、もう一回タクシーを登場させようと思ってあのシーンを書いたんです。自分が出たくて、自分のシーン書いたみたいになっちゃうとアレなんで言いますけど。
スタッフが調べものにハマりすぎちゃって
――史実の中にフィクションを入れていく中で、落語のルート、オリンピック招致のルート、女子スポーツのルート、そういう川の支流のようなエピソードがまさにひとつの大河になっていく、それを結びつけたのは五りん(神木隆之介)ですよね。
宮藤 そうですね。実を言うと、架空のキャラクターを出すことはできるだけやりたくなかったんです。ただ、もしも三島家のメイドさんが、金栗さんを通してスポーツに目覚め、二階堂先生に出会っていたら……と、1人の人物を想定しただけで繋がっていないはずの人たちを繋ぐことができる場合もある。それが本当に上手くいくのなら、架空の人を登場させましょう、と。
だから、最初はメイドのシマの役はそんなにふくらむと思っていなかったです。でも、杉咲花さんがキャスティングされると聞いて「それならちゃんとした役にしよう」と思ってふくらませていった感じですね。五りんもそうでした。
――五りんは最後に存在感を増していって驚きました。
宮藤 志ん生が1964年10月10日、東京五輪開会式の日に三越落語会の高座で『富久』をやったのは、実話なんですよ。そこに何か縁を感じたので、聖火ランナーの中に五りんがいて、走った後に詫びが叶うというシーンを作れないかと思って調べたら、その日に走った人は陸上関係の人だけだった。「前の日ならいいけど、当日のランナーは名前まで残ってるんで、史実を変えることになってしまいます」とスタッフに言われました。じゃあ旗持って走った20数人の中にいたことにしよう、こっちの方が五りんらしいからいいよ、と。
――へえ〜。
宮藤 僕も含めて、スタッフみんな調べものにハマりすぎちゃって、史実と違うことがどんどん受け入れづらくなっていくんですよ(笑)。助監督さんに「気になって調べたら違いました」と言われて、「調べなきゃいいのに」みたいなことが、特に後半、多かったですね。