野毛の名酒場で考えさせられた「酒の道徳」
その他、昭和の香り漂う懐かしの場所を訪ね歩いたルポも味わい深い。神戸の酒場を知悉する超ベテランライターと飲み歩き、老舗銭湯の鏡に広告を出して、その制作の過程に密着。街の生き字引的な古老たちの証言は、愉快で含蓄に富んでいる。
今はなき野毛の名酒場「武蔵屋」の最後を見届けようと訪問した際は、「酒の道徳」について考えさせられたという。
「座敷で寛ぐ常連さんに対して、立ち飲み席のお客さんが『あんたらがずっと動かないから、外のお客さんが入れないよ!』と怒鳴り出した場面に居合わせたんです。長年、武蔵屋を支えてきた常連さんにはゆっくりお店の最後を楽しむ権利があるけれど、外で数時間並んでいる人たちがいるのも事実です。どちらの言い分もわかるし、どちらが正義というわけでもないということを突き付けられました。考えれば考えるほど、難しいテーマです……。
古い店を訪ねるときはいつも、僕はその場にポッと現れた傍観者でしかいられないのだと感じます。その店の歴史を語る権利なんてありません。フラッと店に入った一見の客でしかない寂しさと、それでも惹かれて見てみたいという好奇心の両方がある。これからも、当たり前すぎて素通りされがちなもの、忘れ去られたようにひっそりとあるものに目を向けて、その面白さをすくい上げていきたいです」
スズキナオ/1979年、東京都生まれ。大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」などを中心に執筆中。共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ”お酒』など。本書が初の単著書となる。