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21世紀の戦争はどうなる?

 では、これから21世紀におこる戦争とは、どのようなものだろうか。ここで指摘しておきたいのは、「戦闘」と「戦争」を区別する必要性である。技術によって戦闘の様相が変化する一方で、戦争のあり方は社会的要因により強く影響を受ける。

 先進国はもはや多数の死者を出す大規模国家間戦争を望まないし、耐えられもしないだろう。他方、テロリストは民間人の大量死をものともせず、むしろそれを目的にテロを起こす。世界的に都市化が進む一方で貧富の格差はますます拡大し、不満をため込んだ人々はフェイクニュースに容易に飛びつく。

 21世紀の新しい戦争は、こうした社会的状況を強く反映したものとなるだろう。それは単純にかつての兵士をロボットに置き換えたようなものではないはずである。戦争の目的や遂行方法自体が大きく変わるということだ。

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 新しい時代の戦争は宣戦布告なしで始まるかもしれず、降伏宣言のようなはっきりした終わりがないかもしれない。旅客機を自爆兵器に変えたアルカイダ、インターネットを介入の道具にしたロシアなどのように、使われる武器も思いも寄らないものである可能性もある。

小泉悠氏 ©文藝春秋

 また、新しい戦争は勝利を目的としないかもしれない。たとえば、1990年代のユーゴスラヴィア紛争では戦争による国家の崩壊につけ込んで軍閥やマフィアが台頭し、支配者として振る舞った。2014年にロシアから軍事介入を受けたウクライナは国土を紛争地域化され、NATOやEUに加盟する見通しを当面絶たれている。

 どちらのケースでも軍事力を行使する側は敵を打倒することには関心がなく、紛争が続くことそのものに利益を見出しているのである。「戦争のための戦争」と言い換えてもよい。

 一方で、我が国が直面する東アジア正面においては、古典的な国家間関係が現在も比較的よく機能している。こうした状況では、例えば南シナ海をめぐって米中が現実に衝突する場合、古典的な戦争が新しい兵器を使って展開される、ハイテク版ミッドウェー海戦のような事態が生起するかもしれない。

 ただ、東アジアにおいてさえ戦争は20世紀以前のアナロジーで捉え切れるものではなくなりつつあり、今後その傾向はさらに加速することになろう。

 無人兵器が将来戦でどのような役割を果たすかは、こうした文脈の上で考えて初めて意味を持つ。テクノロジーにとどまらず、戦争の将来像を幅広く考察することこそが2020年代以降の安全保障を構想する上での鍵を握るはずである。