「惜しい競馬が続いていましたし、この馬場さえこなせれば力は上位だと思っていました。脚を取られることなく、最後までしっかり走ってくれました」

 JRAで7人目、現役では唯一の女性騎手である藤田菜七子(22)が1月19日の小倉9レースでナルハヤに騎乗し、鮮やかな逃げ切りを決め、今年3勝目を挙げた(ちなみにナルハヤのオーナーは俳優の陣内孝則)。1月11日に通算101勝目を挙げて、減量特典のある見習い騎手を“卒業”後、初めての勝利だ。

藤田菜七子騎手

 昨年12月8日にはGIII・カペラステークスを制し、日本人女性騎手として初のJRA重賞制覇も果たした藤田には今後「女性騎手初のGI制覇」など更なる記録達成への期待がかかる。しかし、そんなプレッシャーすら軽く跳ね返してしまいそうな気配が今の彼女には漂う。

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「ようやく、女性が活躍できる時代になった」

「文藝春秋」2月号ではライターの秋山千佳が藤田本人や師匠である根本康広調教師、兄弟子の丸山元気らを取材し、彼女が「騎手」を目指そうと思ったきっかけから、厳しいトレーニングに一度は実家に帰ったこともある競馬学校時代、2016年のデビューと同時に起こった「菜七子フィーバー」から現在の活躍に至るまでの日々の内面の変化に迫った。

 その取材の中で「日本(の競馬界)もようやく、女性が活躍できる時代になったんじゃないかな」と語ったのは師匠である根本調教師だ。メリーナイスで87年のダービーを制した元騎手で、97年に引退、翌年から茨城県の美浦トレーニングセンターで厩舎を開業した。良い馬を預かることを目指すよりも人を育てたい、という独自の志から藤田の兄弟子にあたる丸山元気、野中悠太郎、そして藤田と、3人もの所属騎手を抱える。

コパノキッキングに騎乗しJRA重賞初勝利

儲からなくても誰かが育てなきゃいけない

「実家が古本屋で馬の世界を知らなかった私がここまで来られたのは、師匠(故・橋本輝雄調教師)のおかげです。調教師としては、競走馬を育ててダービーや天皇賞を勝てば、記録には残るかもしれないけども、その馬は引退後にどの調教師に育ててもらったとは思い出さない。でも弟子というのは、私が亡くなっても、根本っていい加減な先生だったよなあ、とか記憶を話せるでしょ? 今どきは調教師も経営者が多くなって、経費をかけずに結果を追い求め、弟子を育てる環境ではないですが、誰だって最初から武豊じゃない。儲からなくても誰かが育てなきゃいけないんですよ」

 かつて「美浦のひょうきん族」と呼ばれた陽気なキャラクターの根本がそうして明かしたのは「騎手・藤田菜七子誕生の舞台裏」だった。

 それは2013年のこと。茨城県の美浦トレーニングセンターで調教師をやっている根本のもとに騎手時代の先輩でもある競馬学校教官がやってきた。