「いやー、初めての週刊誌連載は寿命が縮まりました。それがこうして一冊になると感慨深いですね」
そう笑いながら語るのはノンフィクションライターの沢部ひとみさん。
「家政婦は見た!」や「まんが日本昔ばなし」など数々の名作に出演した女優の市原悦子さんが亡くなり、今年1月で1周忌を迎えた。本書はそんな彼女が生前に語った“ことば”をめぐる役者人生を描いたものだ。半年にわたる小誌の連載「優しいやまんば」がもとになっている。
「市原さんとは1999年に雑誌の取材で出会って以来、20年にわたるお付き合いでした。彼女の口から味わい深い言葉がこぼれ落ちるたびに日記や取材ノートに書き留めておいたんです」
〈人には、美しい瞬間と醜い瞬間があるだけ〉
〈女が幸せじゃなきゃ、男も幸せにならないのよ〉
〈落ちていく時の花もある〉
本書をめくると、数々の魅力的な言葉が飛び込んでくる。どれも含蓄があって、明日からの生きるヒントになりそうだ。
「私が一番好きなのは『その日食べられて、大事な友達が数人いて、目の前の仕事をやるだけで満足』という言葉です。小欲知足という仏教用語がありますが、市原さんの生き方はまさにそんな感じ。女優なのに決して派手な生活は好まない。
名誉や賞にも関心がなくて、読売演劇大賞や日本アカデミー賞など数々の賞を獲っていますが、『こんなにたくさんすごいですね!』と言うと、『そうかしら?』という感じで、本人はまるで興味なさそうでした」
沢部さんが市原さんに惹かれたのは大学時代。
「『岸壁の母』という77年に放送された昼ドラがあって、市原さんは戦争に行った息子の帰りを待つ母親役でした。私はそれをテレビにかじりつくようにして毎日見ていました。もう泣けて、泣けて……おかげで3限の授業を何度もサボりました(笑)」
そんな沢部さんにとって市原さんの最大の魅力は声。「まるで心に直接触ってくるようだ」と市原さんに伝えると、「そんなふうに言ってくれるなんて嬉しいわ」と大変喜んだ。
「市原さんの声と言葉は魔法みたい。彼女が“雪”と言えば目の前にパーッと雪の風景が広がる」と言う。
2016年に市原さんは自己免疫性脊髄炎を発症。仕事のキャンセルも余儀なくされた。沢部さんは2年間、毎週市原さんの病室や自宅を訪ねて闘病を支えた。
「若い頃はスポーツ万能で舞台を飛び跳ねていた人が、晩年は歩くことさえ自由でなかった。それが一番辛かったでしょうね。でも体調の良い時は、ベッドの上で歌謡ショーごっこをしましたよ。都はるみや、ちあきなおみがお好きでした。私が『さあ、次は誰々の登場です!』なんてアナウンスすると、けん玉をマイク代わりに歌っていました(笑)」
最後に読者へのメッセージを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「市原さんは演出家の浅利慶太さんに『50年か100年に1人、という才能』と言われた舞台女優です。人としてはこちらが驚くほど自由で、謙虚で、言葉に嘘のない人でした。
口舌の徒が横行する今の世の中で、市原さんのように真実を深くやさしい言葉で伝えることのできた名優がこの国に生きたことを、多くの人の心に永く留めてほしいと思います」
さわべひとみ/1952年、静岡県生まれ。市原悦子著『やまんば―女優市原悦子43人と語る』『白髪のうた』(ともに春秋社)などの構成・編集に携わる。代表作に『百合子、ダスヴィダーニヤ―湯浅芳子の青春』(女性文庫)がある。