若年性認知症の当事者が、家族に支えられ会社の理解を得ながら、前向きに生きる日々を伝える『丹野智文 笑顔で生きる』(構成)、認知症と診断されても工夫を重ねて楽しく暮らしている人たちを全国に訪ねた『ゆかいな認知症』、そして認知症介護のコツを介護者などに取材した本書と、ノンフィクション作家の奥野修司さんは、ここ3年で3冊の認知症の本を出している。
「僕の兄が若年性認知症でした。診断されて12、3年経ってから亡くなったのですが、最後の1年は口もきけないし寝たきりでした。話しかけても返事はないし、無表情だし、僕、晩年には会いに行かなくなっちゃったんです。でも葬儀が終わってから思った。自分はがんを抱えて生きている人たちには亡くなる1週間前までインタビューしているのに、なぜ兄に話を聞こうとしなかったのだろう、と」
そんなモヤモヤを抱え、2013年頃から認知症と診断された人たちの取材を始めた。周囲の力をうまく借りながら自立している当事者を紹介した『ゆかいな認知症』を世に出すと、今度は「介護する側にとって役立つマニュアルのような本も書いてほしい」という要望が家族などから届いた。
「『マニュアルを』という要望に応えて本書の取材を始めたのですが、結局、僕は前作『ゆかいな認知症』を書き上げたときと同じ思いに至りました。目の前の認知症の人の話をじっくり聞けば、介護の仕方はおのずと見えてくるはずだと。認知症でも重度でなければ話せる方がほとんどです。当事者の本音を聞くコツは、喋るまで待つこと。僕は、認知症の人を取材する時は、時間を区切りません。障害を持った人の視点と健常者の視点の間を、行ったり来たりしながら話を聞く。健常者の視点で“こうしたらいい、ああしたらいい”と立派に思える意見を言ったり実行したりすると、必ずしっぺ返しを受けます」
本書には、認知症の家族を抱えたときに知っておくべき実用的な知識がふんだんに紹介されている。たとえば、認知症と診断されると会社を辞めざるを得なくなるケースが多いが、「障害年金」は在職中に申請する方がいい。支給金額がずっと多くなるからだ。障害年金は「障害基礎年金」と「障害厚生年金」の2階建てで、会社を辞めると「障害厚生年金」の方は申請できない。
が、こうした知識もさることながら、認知症を知ることが介護の第一歩だとしたら、第1章で取り上げられる、島根県出雲市のデイケア「小山のおうち」の重度認知症の人たちが綴った「手記」は必読だ。
――物忘れは悪い事です なさけない事です(略)物忘れする以前は思ふ事が出来た/畑仕事その他なんでも出来た(81歳男性)
「喋らない人でも、書くんです。衝撃を受けたし、色々教えられました。喜怒哀楽の感情は、健常な人たちと全く変わらない。物を忘れ、何度も指摘されることは悔しいんです。辛さが限度を超えると、“物盗られ妄想”などの“問題行動”で周囲に抗議してくるのです」
京都在住の女性が、入浴を渋る夫を、阿波踊りを一緒に踊りながら風呂場まで連れて行くエピソードは胸を打つ。この人は、ある時1週間喉が腫れて喋れなくなり、夫の不自由さが身に染みたのがきっかけで、伴侶の身になって考えながらの手探り介護を続けている。
「マニュアルを求められて着手した本なのに、介護にマニュアルはない、という結論になってしまったようです(笑)。認知症の人を知るということは、相手を愛する、ということ以外のなにものでもないのです」
おくのしゅうじ/1948年、大阪府生まれ。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅壮一ノンフィクション賞。少年犯罪被害者家族に寄り添った『心にナイフをしのばせて』、東日本大震災遺族の霊体験を綴る『魂でもいいから、そばにいて』等。