片手袋――聞きなれない言葉だが、その道を15年近く究めてきた人がいる。石井公二さんは2004年のある日、路上に落ちている片方だけの軍手を当時流行し始めていたカメラ付き携帯で何気なく撮影。その瞬間、雷に打たれたような衝撃を覚えたという。それ以来、道の片隅などに落ちている片手袋を撮影・分類・考察し続けている。
『片手袋研究入門』は、その研究成果をまとめた“令和の奇書”だ。
「僕がいま片手袋と呼んでいるのは、手袋そのものではありません。誰かの手袋が不意に落ちる。それは拾われて『介入型』になるかもしれないし、そのまま置き去りにされて『放置型』になるかもしれない。あるいは捨てられる可能性もある。どんどん変化していく動的な現象を“片手袋”として捉えています」
片手袋研究には分類法があり、チャート式の「片手袋分類図」として体系化されている。軽作業類、防寒類など使用の「目的」で分ける第1段階。第2段階は「過程」で分類し、放置型と介入型に大別される。そして電柱系、歩道・車道系など落ちている「状況・場所」で分ける第3段階。この分類図を頭に叩き込んでから片手袋を眺めると片手袋同士の類似点や相違点が見えてくる。あまつさえ、片手袋の佇まいから人の優しさ、悲しみが読み取れるようになるから面白い。
「最初の数年はフェティッシュなものとして片手袋を撮影していましたが、次第に『背後』の方が実は大切なのではないか、と思い始めて。写真も自然と引きの構図が多くなりました。片手袋は社会の末端にあるがゆえに、色々な道筋を辿ってきている。末端のもの、誰も見向きもしないものこそ、意外と多くの情報を背負っているんですよね。
また、一対の手袋が離れ離れになって落ちている様子からは寂しさや儚さを感じられますが、それだけではありません。片手袋がピースの形で落ちていたら『陽気なやつだな』と思える。それが拾われると、落とした人だけでなく、拾った人の感情まで読み取れるようになります。東京は人間関係が希薄な都市だと思われがちですが、片手袋はそこで人と人の繋がりが日々繰り広げられていることを象徴しているんです」
基礎の次は、もちろん応用。片手袋の聖地である築地、高速道路、グーグルマップのストリートビューなどの「現場」で片手袋の背景にある情報を読み解く。
「連日、ワイドショーで築地の移転問題が取り上げられていた時期に、周りの人に『片手袋的視点が抜けているよ』と言い続けていたのですが、誰も耳を貸してくれなくて(苦笑)。でも、僕は冗談で言っていたのではなく、地べたに落ちているもの位の視点から、あの問題を考える必要があると思っていたんです。移転問題や土壌汚染ばかりに世間の関心が向く中で、その場所で働く人たちの気持ちを誰が考えるのだろうと強く感じていました。築地で人が働いたり、買い物をしたり、落とし物を日々発生させるような営みが行われていたことを記録として残すことができた。それはよかったな、と思っています」
片手袋という学問を突き詰めると都市論になり、その先には哲学的な問いが待っている。読み通したときに驚くこと間違いなしだ。
「最近は『手』そのものについて考えさせられます。手は人を殴ることもできれば、繋ぐこともできる。人間の関係性を象徴しているようなパーツです。だからこそ、片手袋が落ちていると素通りできないのかもしれません」
いしいこうじ/1980年、東京都生まれ。片手袋研究家。幼少の頃にウクライナの民話の絵本『てぶくろ』を読み、まちに片方だけ落ちている手袋が気になり始める。2005年からは「片手袋」と名付け、研究を開始。HP「片手袋大全」を拠点に、研究成果などを発表している。