オビには「集大成にして新展開」とあり、著者自ら「最高傑作」と公言して憚らない渾身の書物である。哲学者として、批評家として、小説家として、思想家として、東浩紀がこれまで歩んできた道のりのすべてが本作に結集し、未来に向かって流れ出している。
観光客とは何か? それは「特定の共同体にのみ属する『村人』でもなく、どの共同体にも属さない『旅人』でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる」という存在のことである。この三分法はすでに以前の著作『弱いつながり』で提示されていた。本書はそのような「観光客」の出現の意味と意義にかんする理論的な説明と、そこから発展してゆくさまざまな可能性を述べたものだ。重要なことは、東の言う「観光客」が、文字通りの意味であると同時に、一種のメタファー(隠喩)でもあるということである。それは実際に他国に観光目的で出かけてゆく者たちを指すだけではなく、明らかに、インターネット以後の人間の生の様式を表している。とりわけ検索エンジンとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、ひとびとのコミュニケーションや社会的なコミットメントのあり方、知識や情報の獲得の方法、自己と他者の評価の仕方/され方、などを大きく変えた。そのことには良い面と良くない面があると言えるが、もちろん後戻りは出来ない。東が力強く素描しようとするのは、ポスト情報社会、後期(末期?)資本主義社会ともいうべき現在において、ひとはどうあるべきか、どう生きるべきなのか、という極めて巨大な問いへの解答である。「観光客」とはけっして無責任な存在ではない。現実世界でも、ネットでも、たまたま訪れた場所を好奇心の赴くままに見聞し、そこにいる人々と仮初めの関係を持つこと。東はそこに新しいかたちの共感と連帯の可能性を見出そうとする。一見飛躍と思えるような論旨展開も、練り上げられた平易な文体と周到なロジックによって、読者の読む悦び、思考する歓びを刺激しつつ、しかし観念的な哲学論議とはまったく違った確かな実感を与えてくれる。一言でいえば「これは自分(たち)の問題だ」という感覚を抱かせてくれるのだ。
本書の第2部では「観光客の哲学」から「家族の哲学」への接続がなされる。この「家族」も字義通りであり、またメタファーである。「観光客」と「家族」という何の変哲もない言葉に著者が込めた射程はおそろしく深く広い。このような書物が登場したのは本当に久しぶりのことである。
あずまひろき/1971年東京都生まれ。批評家、作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』。
ささきあつし/1964年愛知県生まれ。批評家。HEADZ主宰。『シチュエーションズ』『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ』。