「新書戦争」の言葉を聞く機会こそ減ったが、終戦を迎えたわけではない。出版市場縮小の逆風の中で競争はむしろ熾烈さを極め、今までにない動きも見られる。
たとえば宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書)。かつて『自動車の社会的費用』を著した世界的な数理経済学者の最新刊だ。皆が自由に利用できる社会的共通資本の喪失をいかに防ぐか。前著から主張は一貫しているが、本書では研究者人生のエピソードも披露しつつ、新自由主義を批判する円熟の境地を示す。
一流の学者が一般向けに学識・見識を分かりやすく示す。それが新書本来の姿だった。だが本書の刊行準備中に宇沢が逝去したのは象徴的で、優れた新書の書き手たちが次々に鬼籍に入る。だから新しい書き手が発掘できるかが出版社の命運を分ける。
『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)を著した坂井豊貴は新書界期待の若手だ。前著『多数決を疑う』も良かった。ただ『人間の経済』と並べてみると単なる新旧世代交代ではない事情も瞭然とする。簡にして要を得た全176頁とスリムな本書の帯に敢えて「この薄さ。だからこそ、よくわかる!」とコピーを添えた。それはスマホより厚く、重いものを持とうとしない若い世代を意識してか。ハードルの高い本を敬遠しがちな風潮に先回りするかのように書名も低姿勢だ。そこまでせざるを得ないのが新書の現状なのだ。
辻田真佐憲『文部省の研究』(文春新書)を読むと新書出版社が戦う相手が実はライバル社だけでないことが分かる。本書は普遍主義と共同体主義の間で常に揺れ続け、最近でも英会話至上主義でグローバルに活躍できる企業戦士育成を謳う一方で道徳教育による「国民」再統合を目指すという分裂を呈する文部(科学)省の150年史。グローバリズムとナショナリズムのいずれにも一理ありと認める著者は、両者を架橋して「使えるものは使い、捨てるべきものは捨てる」知恵の欠落を問題視する。
だが、その欠落こそ歴史の産物ではなかったか。文部省が深い批評的知性を備えた教養人を教育の目指す「理想の日本人」とみなすことは一貫してなかった。こうした教養軽視の風土からは新書の書き手も読み手も育ちにくかろう。たとえば『ミクロ経済学入門の入門』とマクロな『人間の経済』論の遠い隔たりを教養によって埋める使命を担う新書業界は、かくして幾重もの逆境に苛まれている。本連載では優れた新書の紹介を通じて、その孤軍奮闘を側方支援したい。