「盤上で倒れてもよい」という思いで指す
その燃え上がる闘志は、自分や盤上だけでなく他の棋士にも向けられていた。昭和23年、升田が体調不良で負けが込み、「俺はどうも身体がよくない、将棋を指すのが嫌になった」と漏らした時には、以下の発言をして発破をかけている。
「君は卑きようだ、升田フアンを一体君をどうみているのだ、君は将棋で生活する意志を持ち、しかも天分に恵まれているのではないか、いつたん男子がことに当り、俺は身体が弱いから駄目だとはなんたる薄志弱行の言であるか、しかもなおかつ酒を好み飲む、酒を飲む身体でありながら、弱いから将棋を指す気になれぬとはもつてのほかだ、どうかたおれて止むの気はくを出して頑張つてくれ!」 (南口繁一「二十四年度の將棋展望」新世界新聞、1949年2月18日)
この年の8月24日に升田と順位戦を指した時には数日前から体調が悪く、当日も37度の微熱があったが「盤上で倒れてもよい」と思い指していたという。こうした言動に打たれたのか升田はその後成績を立て直したが、松田自身は盤上で倒れるような形で去ってしまったことに人の世の無常を感じる。内面から燃え上がる闘志は、自らをも燃やし尽くしてしまった。
自らの命を犠牲にしても到達したい悲願
名人位を巡る舞台で病を押して木村義雄と戦い、そして倒れた姿を師の神田と重ねる人は多い。病で倒れる直前に原田八段に対し「原田君名人を目指すんだね、棋士はそれでなくちゃウソだ、私もやるつもりですが……」と語るなど、本人も名人位への野望を隠さなかった。
また、神田門下の一門会となる神田会の立ち上げにあたっては松田が代表となり、神田一門の繁栄を願っている。松田にとって名人位というものは、自らの命を犠牲にしても自分を含めた神田一門が到達したい悲願だったのであろう。
2019年、豊島将之二冠が佐藤天彦名人を破り、神田辰之助系列の棋士として初めての名人が誕生した。松田の願いが成就した形である。天上の松田は、このニュースを知ったらどう受け止めるだろうか。松田は対局時こそ「目の怖い人」であったが、普段は澄んだ目をした寡黙な人物であったようだ。何も言わず、ただ目を細め、満足した表情で静かに笑う松田を私は想像している。
INFORMATION
『不撓―忘れられた棋士、松田辰雄八段の記録―』(将棋史学同人刊)
戦後間もなくの数年に活躍し、結核で夭折した悲運の棋士・松田辰雄八段について、残された記録を発掘、編纂し、その姿を浮き彫りにします。
執筆者:石川陽生七段、小笠原輝、君島俊介、けんゆう(五十音順)
A5判・162頁・全頁モノクロ(冊子1部 2,000円+送料200円 計2,200円)
2月29日には、執筆者3人による刊行記念トークイベン