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コントロール可能・不可能な問題を切り分けよ

 さて、私がこのように「毒親育ちのハードモード」を書いている理由は、魔窟談義をしたいからではありません。メイコさんが「比べる相手をまちがえている」からです。毒親育ちはノン毒親家庭と比べてはいけません。理由は2つ。

1.Apple to apple(条件が対等な比較)でないから

2.自分でコントロールできない「前提」で比べてもどうにもならないから

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 人生は他者と比べるといきなりつらみが増して地獄モードになるので、「人と自分を比べるのはやめよう」と偉い人はよく言いますが、そうはいっても人間は「比べる生き物」です。比べてしまう業を捨てられないのなら、比べる相手は Apple to apple、同列条件で考えましょう。りんごとゴリラを比べて「りんごは毛がないし筋肉もなくてツルツル!」と泣き叫んでも無意味オブ無意味。

 参考にするなら、毒親持ちの女性たちがどのようにして結婚を決めたのかを見るべきです。私たちは「毒親ホーム」という戦場に生まれた戦場育ち。平和な国なら銃声が一発起きただけで大騒ぎになりますが、戦場では銃声など鳥の鳴き声と同じ扱いを受けます。環境が変われば同じ事象でも意味合いと重みが変わるのです。ノン毒親の「親の反対」と毒親の「親の反対」を同じ土俵でとらえてはいけません。

 なぜ、ここまで毒親育ちとノン毒親育ちの切り分けを勧めるかというと、「生まれ」は絶対に変えられないからです。

 問題を考える時には「自分でコントロール可能なものか」「コントロール不可能なものか」という基準で切り分ける必要があります。天気、生まれた国、性別(後から変えることは可能ですが持って生まれた事実は変えられません)、親、市場原理、歴史、時間の流れなど、自分が変えられないものは「前提」です。「生育環境」という前提をくつがえすには生まれ直すしかありませんが、それは不可能だし、「現在の自分」を否定する考え方です。

「毒親ホーム」という戦場をくぐりぬけてきたのです。©iStock.com

ぱぷりこさんの回答はさらに筆圧高く、第2回へ続きます!