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キム家は、リッチなパク家と敵対しない

 これは単に、「あえて利用する」というところに留まるものではない。キム家は決してパク家に対する階級意識を抱き、敵対することもなければ、格差社会の論理(勝ち組の論理=縁故主義)を否定することもない。むしろその論理に飲み込まれている。

 そのことは、物語の後半でパク家の隠された地下に住む男グンセの存在が明るみに出た後に、あからさまになっていく。そもそもキム家は運転手や家政婦(グンセの妻のムングァン)を陥れて排除することでパラサイトになることに成功していた。忘れられた核シェルターの中で密かにパラサイト生活をしていたグンセの存在が明らかになった後も、キム家は彼と「パラサイト」の地位を巡る闘争・競争に入る。

キム家の父を演じたソン・ガンホ ©︎getty

 ここで起きているのは、一種の分断統治だ。本来は、貧しき者たち(キム家とグンセ)は連帯をして資本家(パク家)に対抗すべきである。しかし、闘争線は貧しき者たち同士の間に引かれる。

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 この点についてこの作品は非常に皮肉な眼差しにあふれている。終盤の大雨と洪水の場面で、地下室で便器の中に嘔吐するムングァンと、下水から汚物があふれるキム家の半地下のトイレのリンクは、二つの貧しき家族が同じ立場を共有していることを示唆する。だが、その二つの家族はあくまで対立=競争させられる。ここまで、『パラサイト』はあくまで競争社会=格差社会として社会を見ている。

最後まで「地下の男」との連帯が生まれない理由

 では、物語の大団円において、キム家、とりわけ父のギテクは、「階級意識」に目覚め、グンセと連帯してパク家との階級闘争に入った、という風に読めるだろうか。どうもそれは難しそうだ。地下室の住人グンセとキム家の対立は最後まで解消されず、グンセはキム家の娘のギジョンを刺し、キム家の母チュンスクに刺される。

キム家の娘ギジョンを演じたパク・ソダム ©︎getty

 ギテクによるパク氏の殺害は、非常に衝動的なものだ。確かに彼は、娘と息子が傷ついた姿を目にし、一方で自分の息子の発作のことしか考えないパク氏に対する義憤にかられてはいる。だがそれは一方では冒頭に述べた通り、「悪臭」に対するパク氏の不随意の拒絶反応に対する、かなり身体的なリアクションなのだ。十分に社会化され意識化された「階級意識」の結果ではない──そのような意識を抱くチャンスは、彼にはずっと前からあったのだから。