最も凶悪な、との例えを使うことに躊躇の生じない事件というのがある。
起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」は、私にとってまさにそれに該当する事件だ。
稀代の大量殺人は、2002年3月7日、福岡県北九州市で2人の中年男女が逮捕されたことにより発覚する。最初の逮捕容疑は17歳の少女に対する監禁・傷害というもの。奇しくも2000年1月に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月に亘って監禁されていた事件の判決(懲役14年)が、この2カ月前の2002年1月に出たばかりだった。今回も少女が6年以上(後に7年以上と判明)に亘って監禁されていたとの情報が流れ、同事件の再来を想起させた。
ただの監禁事件ではなかった
だがやがて、この事件は想像以上の展開を迎える。まず少女の父親が殺害されていたことが明らかになり、さらには逮捕された女の親族6人も、子供2人を含む全員が殺されていたことがわかっていく。しかもその方法は、男の命じるままに肉親同士でひとりずつ手を下していくという、極めて残酷なものだった。
主犯の松永太(逮捕時40歳)と内縁の妻である緒方純子(逮捕時40歳)には、福岡地裁小倉支部でともに死刑判決が言い渡され、続く福岡高裁で開かれた控訴審で、緒方は無期懲役に減刑された。そして最高裁での上告審で松永の死刑、緒方の無期懲役が確定。松永は死刑囚として拘置所に、緒方は懲役囚として刑務所に、それぞれ収監されている(2020年4月1日現在)。
逃走の機会があったにも関わらず、みずから犯行に加担
私は2人が逮捕されて2日後に現場に入り、以来、事あるごとに取材を続けてきた。そのなかには裁判の傍聴や、上告審の期間中に松永との面会や手紙のやりとりを繰り返したことも含まれる。同時に、この事件の取材に携わっていた福岡県警担当記者や司法担当記者たちからも、多くの“表に出ない”情報を収集してきた。
同事件の最大の特徴は、主犯である松永のもとで、共犯の緒方を含めて被害者たちがみな、それぞれ逃走の機会があったにも関わらず、ごく一部の例外を除き、逃げ出せずにみずから犯行に加わってしまった点にある。