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なぜ事件は起きてしまったのか

 こうしたことは、私がその後取材した「尼崎連続変死事件」でも同様に起きていた。そこでもやはり、角田美代子(逮捕後に自殺)という主犯の女の下で、屈強な男たちが彼女に逆らえず、犯行に加担していたのだった。

 なぜそうした、マインドコントロールともいえる状況下に、周囲の者たちは置かれてしまったのか。

 この「北九州監禁連続殺人事件」を主導した松永の生い立ちや、被害者との関係、そこで取られた行動といった、犯行に関わる詳細を知ることこそが、新たに起こり得る同じ形態の犯行の抑止に繋がるのではないかとの思いがある。

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 そのため、当時の現場で得た証言や裁判の記録に留まらず、時を経て初めて明かされた新事実なども含めて、同事件について知り得る限りのことを、この場で詳らかにしていきたい。もちろん、なかには目を背けたくなるような現実も含まれている。だが、起きてしまった事件の記録を未来の礎とすることこそが、無辜の犠牲者に対する追悼となることを信じてやまない。

事件について伝える毎日新聞(2002年3月8日夕刊)の記事

逃走するも再度監禁

〈少女を監禁し、暴行した容疑で男女を逮捕〉との見出しの載った新聞記事を、出張先の熊本県熊本市で私が目にしたのは、2002年3月8日のこと。その内容は、北九州市で17歳の少女をマンションに監禁し、殴ったり首を絞めるなどの暴行を加えていた中年の男女が、3月7日に逮捕されたというものだった。なお、男女は氏名を語っておらず、不詳とある。

 私が現地に入った3月9日までの間には、当時は知る由もなかったが、次のようなことが起きていた。まずはそれらについて説明しておきたい。

 逃走した少女・広田清美さん(仮名)は、彼女が小学4年生だった1994年10月から、「ミヤザキ」を名乗る松永太と、「モリ」を名乗る緒方純子、さらに父親の広田由紀夫さん(仮名)と、北九州市小倉北区片野にある『片野マンション(仮名)』で同居を始めていた。

©文藝春秋

 清美さんはそれから7年3カ月後の2002年1月30日に、北九州市門司区にある祖父母宅に逃走を試みるも、2月14日に祖父母宅にやって来た松永に連れ戻され、2月15日から3月6日にかけて、松永らが片野マンションと同時に借りていた、北九州市小倉北区東篠崎にある『東篠崎マンション(仮名)』の一室に監禁されてしまう。