全てのチームが方程式を正義とする訳では無い

 6月23日ほっともっとフィールド神戸。ビハインドの状況での近藤大亮、黒木優太両投手の登板に「またかよ!」と、どよめきを見せるライトスタンド。それはそうだろう。過去から我々Bsファンは中継ぎ陣の言わば「勝利の方程式」に絶大の信頼を置き観戦してきたのだ。懐かしい所では菊地原毅、加藤大輔、大久保勝信。それに平野佳寿、岸田護、ジョン・レスター。一番有名な所では岸田、馬原孝浩、佐藤達也、平野であろうか。全国的にあまりに有名な阪神の「JFK」はかつてBsの監督も務めた岡田彰布氏が構築したもの。この「JFK」の登場以降、決まった中継ぎ陣の継投を多くのメディアはこぞって「勝利の方程式」と持ち上げた。

 そしてその「JFK」以降、どのチームに於いてもこの「勝利の方程式」を求める声が日に日に増加した。ある種中継ぎ陣は必ず「勝ちパターン」や「敗戦処理」等、決まったケースに決まった順番で投入するものと認識されるようになったのだ。確かに、決まったパターンの継投であれば、見ている方はある種の安心が得られるだろう。また、例えどこかで継投に失敗しても「方程式の崩れ」と表現すれば良いのだから我々の精神衛生的にも悪い話では無い。

 しかしこの「勝利の方程式」、本当に必要なものなのだろうか。本当に「勝利の方程式」の構築が勝利への最善の方法なのだろうか。メディアが作り上げた幻想に我々は振り回されているのかもしれない。実はこの疑問を紐解く鍵は今年のWBCでの平野投手の起用にあったように思う。権藤博・侍JAPAN投手コーチのWBCでの平野の起用方法にこそ「勝利の方程式」では語れない勝利への数式が隠されていたと思うのだ。

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ズバリ! 野球は「関数」

 そもそも「方程式」とは数式の一種で、1つ以上の変数を含む等式である。等式であるから両辺が等しくなる。「500=x+200」のようにして使用するもので、当然ながらこの場合は 「x=300」となる。

話が逸れそうなので「勝利の方程式」に戻すが、首脳陣の思惑としては継投による「失点=0」を目指したいのだろう。と言う事は、先発陣の降板から、以降試合終了までを「0失点」で消化する必要がある。よって一辺の値は「0」。つまり「0= a投手×失点 + b投手×失点 + c投手×失点」となるのではないだろうか。失点リスクを考えると先発陣の降板が遅ければ遅いほど数式は崩れにくく、また、中継ぎ投手一人当たりの登板イニングが少なければ少ないほど、同じく数式は崩れにくい。

 しかし、そもそも野球で「0失点」を目指すケースは「1点リード」のケースのみである。自チームの得点が相手チームの得点を1点上回った状況で9イニングを消化すれば良いのだから、数式的には「y(自チームの得点)=x(相手チームの得点)+1」になれば良いのだ。理系の方ならお分かりだと思うが、これは方程式で求める内容ではない。yとxの値がある変数に依存して決まる、ズバリ「関数」なのである。関数グラフの中から、ある一点を導き出すための数式が「方程式」であるから、野球を「関数」であると捉えれば必ずしも「方程式」を必要としないのである。簡単に言うと「1点リードして終われば、それはどの一点を導き出しても構わない」のだ。