このひとでも防衛大臣を続けられるぐらい、北東アジアは平穏無事なのだろう。そんな皮肉もいいたくなる。6月27日に稲田朋美防衛大臣が都議選の応援演説で「防衛省・自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言した問題である。
これまで大切に守ってきた政治的中立を、大臣みずからぶち壊すのだからたまったものではない。防衛省・自衛隊にとっても迷惑千万だったにちがいない。
この悪目立ちばかりする大臣を支えなければならない防衛官僚の苦労は察するにあまりある。
特徴が掴みづらい防衛官僚
ところで、その防衛官僚である。防衛省・自衛隊はひとつの組織だが、制服組の自衛官にくらべ、背広組の官僚はあまり表に出てこない。かれらは一体いかなる存在なのだろうか。
前回に引き続き、今回も『月刊官界』を手がかりにしてみたい。これは、1975年11月から2005年2月にかけて刊行された、官僚業界に特化した雑誌である。
『月刊官界』の持ち味は、官僚個人への着目だ。そこから組織風土も窺い知れるわけだが、その筆致は相変わらず容赦がない。
ある防衛官僚は「飲む、打つ、買うのなんでもござれ」であり、また別の防衛官僚は「怒るとメチャメチャで精神構造が狂ってるんじゃないか」と部下に陰口を叩かれたという。
現在なら、週刊誌のネタや訴訟沙汰になりかねない。良くも悪くも大らかな時代の産物である。
ただ、同雑誌でも防衛官僚はどうも特徴を掴みづらい。文部官僚は昔から地味だとか、外務官僚は性格がソフトだとか、警察官僚は居丈高なので選挙に出ると苦労するとか、そういう全体的な話がほとんどないのだ。
寄せ集めの「外人部隊」「しろうと官庁」
それもそのはず、防衛官僚は長らく寄せ集めであり、他省庁にくらべて一体性に乏しかった。
防衛省の前身である防衛庁は1954年に発足した。防衛庁はさらに遡れば警察予備隊本部を主な前身としたため、当初は旧警察(内務省)の元高官たちによって主要な人事が牛耳られていた。
その後も、警察庁や大蔵省など他省庁から官僚が続々と送り込まれ、防衛庁が採用した生え抜きの官僚たちは長らく冷や飯を食わされた。
事務次官は警察や大蔵省の出身者が独占。経理局長は大蔵省、装備局長は通産省、衛生局長は厚生省の出身者の事実上の指定席だった。
防衛庁生え抜きの次官が誕生したのは、なんと1988年6月、西広整輝のときのことなのである。
そのため、防衛官僚はときに「外人部隊」といわれた。制服組に比べて専門性や企画・立案能力に乏しく、かれらが作ったたたき台に赤えんぴつで修正を入れるだけなので、「編集者」とも称された。
『月刊官界』の1982年10月号に寄稿した菊池武文(西日本新聞編集委員)は、防衛庁にたいして「しろうと官庁」「半しろうとの集団」と手厳しい。それでもうまく立ち回れたのは、野党が勉強不足だったことに尽きるという。