私の母の遺骨は、桐の箱に入ったまま津波で流された。未だに行方不明のままである。もう見つからないだろう。そう諦めている。
しかし『ムーンナイト・ダイバー』を読んで考えを改めた。
どこか、日本の近くで眠っているのかもしれない。
月明かりの夜、主人公の舟作は福島の海に潜る。海から見えるのは、煌々とした明かりに照らされる原子力発電所だ。本書には福島、あるいは原発という単語は出てこないが、それがかえって不気味な効果を生む。
放射能に汚染されたであろう海に潜ることはリスクを伴う。では、なぜ舟作は潜るのか。それはある遺族グループからの依頼を受け、海に沈んだ遺品を採ってくる使命を負ったからだ。
私は震災から五年を前に、『オール讀物』誌上で作者の天童荒太さんと対談をしたが、最も印象深かったのは次の言葉だ。
サバイバーズ・ギルト。
生き残った人間が感じる罪悪感。
なぜ、自分は生き残ってしまったのか。愛する人のために、何か出来たことがあったのではないか。
舟作は震災で両親と兄を亡くしていた。自問自答の果て、罪の意識や悔恨にたどり着かざるを得ない。
舟作の依頼者となるのは、公務員の珠井である。珠井は妻と娘を失っており、ふたりの喪失を受け入れる方法として遺品の採集を思いつく。しかし公務員として法律を遵守する立場にあるからこそ、その限界を感じ、グループを主宰してダイバーを求めたのだ。
また、グループに属しながら、ある品物を「探さないで」と舟作に懇願する透子という女性も登場する。
結果として舟作、珠井、透子のサバイバーズ・ギルトが物語を動かす力となり、小説としてのドライブ感を生む。人間の葛藤が「小説の面白さ」につながるのは、天童さんの作品ならではの特色だと思う。
「あの日」をめぐっての葛藤は今も私にある。姉は、きっと母の骨壺を持って逃げようとしたはずだ。もしも、私が姉と電話で話せていれば、遺骨を捨ててでも逃げろと言えたはずだ。しかし、その機会はなかった。
驚いたことに、『ムーンナイト・ダイバー』を読んで罪悪感に変化が表れた。
悔恨は必ずしも悪い感情ではない。なぜなら、サバイバーズ・ギルトは十字架として背負っていくものではなく、折り合いをつけながら抱えていけばいいということを、教えてくれるからだ。
物語の力が、治療へと結びつく。震災から五年、出会うべくして出会った小説だと思う。
てんどうあらた/1960年愛媛県生まれ。86年、「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年に『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年に『悼む人』で直木賞を受賞。他の著書に『包帯クラブ』『歓喜の仔』などがある。
いくしま じゅん/1967年気仙沼生まれ。ジャーナリスト。著書に『気仙沼に消えた姉を追って』、近刊に『エディー・ウォーズ』。