これまでの人生で、犯罪行為の現場に出くわすことはほとんどなかったが、古書泥棒だけは別である。三年ほど古書店でアルバイトしていたせいだ。
古書店と古書泥棒の関係は根深い。店の商品を狙われるだけではなく、他の書店から盗まれた古書が持ちこまれることもよくあるのだ。もちろん、盗品だと知りつつ買い取れば店側も罪に問われる。古書に限らず、古物の売り買いには一定の良心が必要なのである。
本書は二十世紀前半、アメリカの公共図書館から稀覯本を盗み出していた大規模窃盗団と、特別捜査員たちの攻防を描いた圧巻のノンフィクションだが、恐ろしいことに窃盗団を組織していたのはニューヨークの古書店主たちだった。
彼らは「スカウト」と呼ばれる実行犯たちに稀覯本のリストを渡して、アメリカ全土の公共図書館を漁らせていた。そうして集められた稀覯本の在庫は何十万冊にのぼったという。やすやすと良心を売り渡した結果がここにある。
そこまでの事態に至ったのは「アメリカーナ」と呼ばれるアメリカ建国当時の資料の価格高騰や、古書窃盗に対する量刑の軽さ、警察の取り締りの緩さなど、様々な事情が絡んでいるが、背景にあるのは愛書家たちの狂気だ。物体としては古びた印刷物でしかない古書の蒐集に執念を燃やす人々が、新興国だったアメリカにも出現したということである。
本書のハイライトはニューヨーク公共図書館から盗まれた、E・A・ポー、ホーソーン、メルヴィルの貴重な初版本三冊の捜索である。特別捜査員たちの尽力で犯人たちは摘発されるが、戻ってきた初版本は一冊だけだったという。
これは本書のケースに限らない。古書泥棒が捕まったとしても、盗品の多くは行方不明のままだからだ。出所を知らないか、または知らない振りをしている愛書家の手元にあり続けるのだろう。彼らの良心が問われる機会は滅多にない。
Travis McDade/イリノイ大学ロースクール図書館情報学准教授。「稀覯本をめぐる犯罪と刑罰」の講義を担当。他の著書には、コロンビア大学図書館からの窃盗事件をめぐる『The Book Thief』などがある。
みかみえん/1971年生まれ。古書店勤務等を経て小説家に。『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズ、『江ノ島西浦写真館』など。