ふじきてぃーでぃーしー/1962年、秋田県生まれ。AVから横丁の歴史まで縦横に執筆するフリーライター。著書は『場末の酒場、ひとり飲み』、『昭和遺産探訪』、『ニッポンAV最尖端』など多数。また『日活不良監督伝 だんびら一代 藤浦敦』の構成も。

「昔のドラマでは、ヤミ市って怖い場所としか描かれていなかったんですが、最近朝ドラの『とと姉ちゃん』でも、主人公たちがヤミ市で、自分たちの雑誌を売って商売しようと頑張っていましたでしょ。ヤミ市への見方がだいぶ変わってきたんだなぁ、と思いますね」

 と語るのは、先日『ヤミ市跡を歩く』を刊行した藤木TDCさん。映画やAVなどのライターの仕事の傍ら、横丁や辺鄙(へんぴ)なところなど味のある飲食街を飲み歩いて取材してきた。ヤミ市を発祥とする街の取材も、すでに20年近くになる。

「お金のなかった学生時代、新宿でオールナイトの映画を見たあと、西口の“思い出横丁”にあった“太閤”で鯨(げい)カツを食べるというのが、私とヤミ市跡との最初のつながりでした。ライターとして働き出してからは、バブル後もずっと続くメディアの高級グルメ偏重に対抗して、戦後の名残のような小汚い店に注目するようになったんです。でもその頃はまだヤミ市のイメージは悪いままで、店の人にも取材はずいぶん嫌がられましたね。変なもの出していると思われると(笑)」

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 当時の「火災保険特殊地図」を利用した詳細なヤミ市地図が本書の目玉のひとつ。小さな店の一軒一軒も記され、豊富に収録された写真とともに東京各地のヤミ市の変遷が紹介される。

「飲み歩くほどの取材費用もないから、今回はタイトルどおり、“街を歩く”をテーマにしてヤミ市の歴史を中心にしたのですが、それがかえって、“見て歩く”という今の時代に合っていたみたいですね。若い人にも街の移り変わりという土木的な関心で読んでもらえているようです」

 戦後70年、東京の街は大きく変わった。庶民の生活の必要から焼け跡に生まれたヤミ市も、経済成長が進むなかで次々と再開発に消えていった。

「石原都知事のころまでは、ヤミ市発祥の飲食街は東京の恥部としてどんどん取り壊されていきました。でもいま生き残ったところには、外国人観光客が押し寄せてきています。“恵比寿横丁”や吉祥寺の“ハモニカ横丁”のように、若い人たちが店を開いてレトロなアミューズメントとして楽しまれる空間にもなっている。

 ヤミ市名残の飲食街は火に弱く何度も火災で焼失して、そのたびに近代的なビルなどに建て替えられていったのですが、最近は以前のヤミ市的な飲食店にまた建てなおすケースも出てきた。いまやヤミ市跡は立派な観光資源なんです」

1945年8月の日本の敗戦後、法の空白のなかで地元の有力者たちが開いた自由マーケット(ヤミ市)は大きな賑わいを見せた。しかし経済成長が進むと、駅前を占拠するヤミ市の小さな商店は集団移転をしていき、消えていった。当時の地図や写真をもとに、新宿、上野、浅草、池袋など、東京各地に残る痕跡をたどる。

東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く

藤木TDC(著)

実業之日本社
2016年6月17日 発売

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