「歴代の受賞者をみても、逢坂剛さんや大沢在昌さんなど、私がデビュー前からよく読んでいたような方がずらりといらっしゃって、伝統をずっしり感じます。この賞の名前に恥じないものを書いていかねば、という気持ちになりますね」
そう語るのは、柚月裕子さん。昨年出版した広島のヤクザとマル暴刑事との間の壮絶な関係を描いた『孤狼の血』で、第69回日本推理作家協会賞を受賞。先日受賞後第一作になる『あしたの君へ』を上梓した。今回の題材は、家庭裁判所調査官。裁判官の指示で、少年事件や離婚問題などを調査し、裁判官が判断の参考にする資料を作成する仕事だ。
「小さい頃から、物事の判断基準のあり方に興味があったんです。親の都合で転校の多い子だったせいか、それぞれの土地の習慣だとか、地元の子どもたちの当たり前にしていることとか、私は知らなくて、いつも周囲に注意しながら過ごしていたからかもしれません。
家庭裁判所の扱う事件って、少年審判や離婚問題など、私たちにとってとても身近な問題をカバーしていますが、法律で白黒はっきり裁けない、グレーな世界だと思います。セクハラやパワハラも、当人の受取り方で深刻になったりならなかったりと曖昧ですよね。そういう世界で人はどう判断をしていくのかを、この作品で描いてみたいと思ったんです」
舞台は九州の架空の街、福森市。モデルになった福岡市には、いまも居住する山形から取材で訪れた。
「西日本に舞台を設定したのは、少年犯罪が東日本より比較的多いことも意識しています。福岡家裁も見学しました。グループ見学で一緒に参加していた大学生たちは、勤務条件とか転勤の可能性とか質問していて、正義感や理想でなく、普通の就職先としてみていたのが、当然のことですけれども、なんだか新鮮でした」
主人公の望月大地も、安定した仕事を求めて採用試験を受け、調査官補、通称「カンポちゃん」として修習中の身分だ。様々な事件を担当していくなかで、迷いながら成長していく。
「福岡の川は河口近くで、海に出る前の一時、たゆたうような川面が印象に残りました。まるで外の社会に出る前の躊躇(ためら)いのようで、カバーにも描いて頂きました。いまの若い人には、人生を楽しんで、自分の選択に自信をもって生きて欲しいですね。失敗したってかまわない。何かを目指している人を見ると、応援してあげたくなります」
望月大地は家庭裁判所の採用試験にうかり大学卒業後、九州の家裁で調査官補(カンポちゃん)として修習中。ネットカフェ難民、ストーカー、そしてモラハラDVなど、現代社会の複雑な問題を担当していくなかで、志水貴志、藤代美由紀という個性的な同期ふたりとともに、迷いつつも成長していく連作短編集。