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とんかつニューウェーブ代表格 高田馬場「成蔵」が“夜”にこだわる理由

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とんかつエポックメイキング期の2010年代の動きをまとめると……

 成蔵ができた2010年前後はとんかつにとってエポックメイキングな時期だ。2008年に武蔵小山「たいよう」がオープンし、翌2009年には大正時代から続く浅草の「喜多八」が閉店。2010年には数ヶ月違いで神楽坂の「あげづき」、そして「成蔵」がオープンするなど、その後のとんかつ屋の流れがここでできあがったと見ていいだろう。

 三谷さんに、それらのお店の方々と親交があるのかと尋ねてみると、食べには行ったことがあるけれど特には、という返事だった。何を示し合わせたわけでもない中で同時に起こってきたこのニューウェーブ。まだ事が起こり始めてから10年と経っていない中、これからもさまざまな進化や変化があるだろう。

 

 それにしてもその中心にいる三谷さんは、なぜとんかつ屋を選んだのだろうか。

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「燕楽で働いていたのは、先代の店主がわたしの父の弟だったからなんですよ。最初の1年間は出前だけで、そこから11年間、だんだんと教えてもらいながら働きました。大変でしたけれど、自分にはとんかつしかないんだ、という思いがありましたから」

 三谷さんがこれしかないと信じたとんかつこそ、いま一番熱い料理なのだ。

写真=かつとんたろう

とんかつニューウェーブ代表格 高田馬場「成蔵」が“夜”にこだわる理由

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