「みんなでUNOがしてみたい」が叶わない
もちろん全ての病院がこうではないだろうが、程度の差こそあれ、普段は不自由な環境下で辛い闘病生活を送っている子どもたちだからこそ、TCHでは、むしろ病院ではできないような好きなことを安心して目一杯楽しむことで、束の間でも「生まれてきてよかった」と思えるような充実した時間を過ごしてもらおうというわけだ。
それは「みんなでUNOがしてみたい」とか「チョコフォンデュがしてみたい」など、決して大掛かりなものとは限らない。それでいて病院では難しいことである。もしTCHがなければ、そんなささやかな願いですらも叶えられないまま一生を終えることを強いられたかもしれない。それどころか、家族に負担をかけまいと気遣うあまり、自らの希望を口にできない子どもたちも少なくない。
TCHには決まった支援メニューはなく、子ども一人一人の希望を本人に直接聞き、それを最大限尊重することを徹底している。「よりよく生きる」とはどういうことなのか、それを決めるのはそれぞれの子ども達自身にしかできない。そして、人生で叶えたい願いの形は子どもたち一人一人みんな違っていて、どれ一つとして同じものはないのだ。そのため、子どもへの関わり方が公的な制度体系に縛られることがないよう、行政からの補助金は受けず、運営資金の全てを民間団体や個人からの寄付で賄っている。
「子どもホスピス」の取り組みに心惹かれた理由
筆者は11月にNHKの関西ローカルの番組「かんさい熱視線」をきっかけにTCHを知って以来、毎月の寄付をしたり、現地を数回訪問させていただいたりしている。ちなみに、同番組は2月15日(土)16:15から、Eテレで全国放映される予定だ。
社会問題は無数にあり、またそれらに対する取り組みも数多くある。その中で、何故とりわけこの活動を支援していきたいと思ったのか。「子どもたちが可哀想だと思ったから」などでは決してない。真の理由は、TCHを知ったことで、はじめて本当の意味で自分が生まれてきたことを肯定的に捉えることができたからだ。誰の命にも、自分のような救いようのない人間の命にも価値があって、生きていこうとすること自体に意味があることを心の底から信じさせてくれたからだ。そして、この気持ちをより多くの人に味わってもらいたくなったからだ。
とはいえ、大仰な美辞麗句を並べるだけなら誰にでもできる。薄っぺらい建前論ではなく、いくらかでも意味のあるものとして受け取ってもらうには、やはり上記の心情に至った経緯やその背景を具体的に述べる必要があるだろう。