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松田優作の死から30年……崔洋一監督が116分間の「メモリアル・ライブ」を蘇らせた理由

「だんだん僕自身も死の世界に近づいているのは間違いない」

 1990年12月3日、池袋サンシャイン劇場で“一夜限りのライブ”が行われた。「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ」と題されたそのステージを目撃した観客は、たったの800人。原田芳雄、内田裕也、宇崎竜童、原田美枝子、桃井かおり、世良公則、水谷豊……。松田優作の死から1年、彼の友人たちが鎮魂の思いを託して歌い、叫び、語り、そして踊った。しかし、その模様を収めたテープは、以後一度たりとも上映されることはなかった。

 それから約30年。その「伝説のライブ」を完全収録したDVD『CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ+優作について私が知っている二、三の事柄』が発売された。ライブの構成と演出を務めた崔洋一監督の鮮やかな編集によって、当時の熱気と出演者たちの思いがそのまま蘇るような、116分の力強い映像作品に仕上がっている。

 なぜ30年経った今、この「メモリアル・ライブ」を世に送りだすことにしたのだろうか。松田優作との数々の思い出とともに、崔洋一監督に聞いた。

 

◆ ◆ ◆

「記録に残す気はない」とずっと言っていた

――当初、崔監督はこの「メモリアル・ライブ」の映像を残すつもりはなかったと伺いました。

 そうですね。「人の記憶に残ればいい。記録として残す気はない」とずっと言っていたんです。あの現場にいた出演者、スタッフ、観客の心の中に、松田優作という存在が刻み込まれればいいんだ、と。でも、それは僕だけではなくて、原田芳雄をはじめ、出演者全員がどこかで持っていた思いじゃないかな。もちろん追悼という、そういうわかりやすい側面もあったけれども、同時に自己存在を確認するような場でもあったと思うので。

 

「私たち全員、優作さんの愛人だったよね」

――自己存在の確認とは?

 この前、原田美枝子が「私たち全員、男も女も優作さんの愛人だったよね」と、ドキッとするようなことを言ったんです。つまり松田優作と僕たちは、普通のコミュニケーションが成り立つ関係というよりは、愛憎の“憎”も含めた、ある種異様な関係で、そのぶん彼は誰にとっても大きな存在だった。そんな男が、ある日突然いなくなってしまった。だから出演者一人ひとりが、彼の残像と自分自身とを重ね合わせながら、「今を生きてる自分って何なんだ」と問う。そんなライブだったと思うんです。

――崔監督も、ライブ当日はそうした思いで?