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 いや、僕の頭はそれどころじゃなかったんです。演出家としての責任もあるし、無事に終わらせるためにステージ脇と演出席を行ったり来たりして、動き回っていた1日でした。でも、ライブ映像を見ていただければわかるように、キャメラのマイクが拾っている一番大きな音というのは、拍手なんですよ。それをそのまま付けて、編集で足したりしてないんです。そうした映像を改めて見ると、高揚感とともに、でもやっぱり鎮魂の日でもあるわけですから……色んな気持ちが錯綜した、“人の厚み”みたいなものを非常に感じるライブだったな、と思います。

上映も作品化も30年間断り続けていた

――それから30年が経ったいま、「記録に残すつもりはない」と仰っていたライブをDVD化されました。その間にどんな心境の変化があったのでしょうか。

 このライブの映像を「映画館で上映したい」「作品として世に出したい」といった話は、この30年間、実はずっと来ていたんですよ。でもその度に、ライブをプロデュースした黒澤満さん(※映画プロデューサー。松田優作が所属したセントラル・アーツの社長などを務めた)が、「崔、こういう話があるけどどうする?」と聞いてくれて。それで僕は「絶対ダメだ」と。これはもうこのまま世の中から消えてもいいと、えらくツッパってたんだ。

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「松田優作・メモリアル・ライブ」リハーサルの様子 写真 渡邉俊夫

 でも、ちょうど2年ぐらい前ですかね。黒澤さんが、あまり体調がよろしくないということもあって、それで僕が宗旨変えをしたんです。「これで僕も死んじゃった日には、もう本当に消えてしまうから、残しましょう」と。「そうだな。お前もいよいよ、そういうところに来たか」と、黒澤さんには笑われましたけど。

――改めて記録に残すことを、崔監督からご提案されたんですね。

“生きとし生けるもの”が辿り着く最終地点

 そうですね。その後、2018年の11月に黒澤さんが亡くなったんですが、その遺品を整理しているなかでライブを撮影したマザーテープが出てきました。それをデジタル・リマスターして、画質も音質も上げて、再編集して出すことになった。あとは、特典映像として、30年前のライブの証言集を作ろうと。あのライブに関わった人たちに、素直に優作論を語っていただこうという。

――それが、DVDに同時収録されている『優作について私が知っている二、三の事柄』ですね。桃井かおりさんや水谷豊さんが改めて松田優作という人間を語る。その姿から、ある種の「生と死の匂い」を感じるドキュメンタリーでした。特に、桃井かおりさんの「生きるってなんだろう」という言葉が印象的で。

 

 ご指摘のように、このドキュメンタリーは「今も生き続ける者たちの声」ですよね。30年前に亡くなった一人の男に対する追悼と鎮魂を超えるような。それが、かおりのああいう言葉になったんだと思います。何か抽象的な意味じゃなくて、本当に具体的に、「今生きてるってどういう意味?」と彼女は言った。あの問いは、僕も非常に理解できるんですよね。僕は松田優作と同い年なんですが、彼の死から30年が経ち、年齢的に言っても、だんだん僕自身も死の世界に近づいているのは間違いないわけです。

 そうした中で、今回ライブやドキュメンタリーを編集していると、そうか、生きとし生けるものが辿り着く最終地点というものを、僕はどこかで意識していたのかな、と感じました。意図的にそういう方向へ持っていっているわけではないんですが。