一生懸命やることなんてあたりまえ
私は評価ミーティングにおいて、このプロジェクトの中で私が果たした役割について一生懸命説明をし、自らの分析がなければ成功は覚束なかったことを力説した。とにかく「一生懸命」やったのだ。そのことを評価してくれない会社の評価に、当時の私はおおいに不満があったのだ。
ところが私のアピールをずっと聞いていたプロジェクトリーダーはこう言った。
「うん、それで?」
それで、ってどういうことだ。怪訝な顔をする私にリーダーは言った。
「うん、君は一生懸命やってくれた。納期も守った。分析に間違いもなかった。でもそれだけだよね。だいたい一生懸命やることなんてあたりまえだよ。そうじゃなかったらクビだよね、ははは」
働き方改革で“評価の軸”が歪んでいないか
年俸制、無制限の休暇、自由な勤務時間……。会社が私に何を求めているのかがようやくわかり始めた時期でもあった。一生懸命にやったから報われる、世の中はそんな「あまちゃん」の世界ではなかったのである。
その後日本の会社にも勤めるようになって、私はこのことの意義を深く意識するようになった。同僚や部下の方からもずいぶんと言われた。
「私は一生懸命やっています。だから評価してください!」
おそらくこれは単純作業に従事する労働者に対しては十分に考慮されるべき要素なのだろうが、付加価値を創出するような業種ではほとんど評価の対象にはならないことに気付いた。
翻って、働き方改革が進む今の日本の企業社会ではどうだろうか。決められた時間内に決められた仕事を忠実にこなしていくことだけが評価されてはいないだろうか。ともすると学校の内申書のように“教師”の印象を良くすることだけに専心して、肝心の仕事の意義やそこから見える新しいフィールドの存在に気づかない社員ばかりが評価されるようになってはいないだろうか。
一生懸命なんてあたりまえ、なのだ。