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オールナイトニッポン50年 黄金期プロデューサーが語る「たけし伝説」

「ダディさんがいなかったら、たけしさんはいなかったかもしれない」ニッポン放送・近衛正通インタビュー#2

2017/08/20

たけしの前任者、ダディ竹千代は「屋根裏」を熱狂させていた

―― さんまさんの2部が続いてるとき、ビートたけしさんの『ANN』が同じ木曜日の1部で始まるんですよね。是非たけしさんのお話も伺いたいのですが……。

近衛 その前にね、たけしさんの直前の『ANN』をダディ竹千代さんがやっていました。ダディさんへの思いも深いんですよ。今でも楽しかったと思っています。

ダディ竹千代 ©ニッポン放送

―― ダディさんってどんな方なんですか?

近衛 渋谷に「屋根裏」という名のライブハウスがあったんですよ。そこに「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」が出るともう大騒ぎ。東京のライブハウスで、当時一番盛り上がっていたんじゃないかな。

―― すごい人気だったんですね。どうしてラジオは短かったんですか?

近衛 ダディさんのもっている高いレベルを、僕らが料理できなかったんでしょうね。伝えられないっていうのかな。素晴らしいことを考えていたと思うけど、ラジオでは難しかった。すごく尖ったところがあったとしても、ある程度消化してゆかないと番組は作れない。尖った部分だけで作ると、一部の熱狂的な人にしか聞かれない。

―― どんなネタをやっていたんですか?

近衛 ダディさんは、元々クレイジーキャッツが好きで、クレイジーキャッツのロック版みたいなことをやりたかったんです。おとぼけCATSは、みんな音楽レベルがすごく高い。ギターがジミヘンになりきって、そっくりに真似したりするんです。それで何をやるかと言えば、『北の宿から』なんです。これ、何十回聞いてもおかしいんだけど、わかんない人には全然伝わらないんですよ。

中島みゆきさんがいなかったら、たけしさんの番組はなかった

―― たしかに、それは熱狂的なファンがつきそうですよね。

近衛 そのダディさんが終わって、たけしさんの『ANN』が始まるわけですけど、ダディさんがいなかったら、たけしさんはいなかったかもしれない。中島みゆきさんがいなくても、たけしさんはないんです。

―― どういうことでしょう?

近衛 話は、ダディさんの番組にゲストとしてツービートが出たところから始まるんです。あとで事務所とツービートのギャラの話になった。我々が考えていた金額と、事務所が考えていた金額が、ゼロひとつ違ったんです。それで交渉に行ったんだけど、その時に向こうからツービートの『ANN』をやらないかと言われた。実はその時、他局からツービートに深夜ラジオの話が来ていたんです。それで事務所の副社長が娘さんに相談したら、「それはニッポン放送でやるべきよ」って言われたそうなんです。そのお嬢さんが、中島みゆきの『ANN』の熱狂的なファンだったっていうそれだけの理由だそうですが(笑)。だからいろんな縁が『ANN』の歴史を作っていったという感じがします。

ANN歴代パーソナリティ年表を確認しながらお話してくださった

―― パーソナリティの縁もみんな繋がっていると。

近衛 そうですね。中島みゆきさんが『ANN』をやっていなかったら、間違いなくビートたけしの『ANN』はなかった。太田プロの副社長のお嬢さんの一言がなかったら、ツービートの『パックインミュージック』が誕生してたと思います。その時TBSからオファーがきてたっていうんだからね。