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究極の無責任体制が出来上がった

「軍人勅諭はその冒頭で、『我が国の軍隊は世世天皇の統率し給ふ所にそある』として、自分たちは天皇に忠誠を誓った軍隊であることを強調しています。この天皇の意味するところは、明治15年という時代を考えると、具体的に血肉を伴った大元帥としての明治天皇であることは明白でした。

 しかし、それから60年後に陸軍教育総監部が出した『皇軍史』を読むと忠誠を誓うべき天皇の意味が変化していることに気づきます。(中略)

(『皇軍史』で重要なのは)『日本の軍隊は神軍である』と序文で宣言し、皇軍を神軍としたこと。そして『その神軍は神武天皇という神が率いた軍が出発点だった』と強調されていることです。(中略)

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保阪正康氏 ©文藝春秋

 神は具体的な人ではありませんから、勝手なことをしても何も咎められません。国民を総動員して戦場に送った後、次々と玉砕の報告が来ても、参謀たちは責任を取らない。作戦の外道と自覚しながら、神風特攻隊まで始めてしまう。忠誠を誓うべき対象を抽象化したことで『たが』が外れてしまったのです。

 こうして『天皇(神)のため』だとする究極の無責任体制が出来上がってしまいました。軍上層部に、連戦連敗の日本軍を『神軍』と本気で信じていたエリートがどれだけいたかは疑問です」

「翻って現代のエリート官僚にもこれと同じ構図が当てはまります」――保阪さんはこう続けると「現代のエリートと昭和の軍人」に類似する「型」の本質を喝破し、さらに日本型エリートがなぜ「自壊」していくのか、その深淵に迫っていく。

出典:「文藝春秋」3月号

 保阪正康さんの注目の論考「自壊する日本型エリート」は「文藝春秋」3月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

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