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鈍感なくせに強情なブルボン家を抑え込むために
しかもタレーランは敗戦状態のドサクサを利用して(ルイ18世が実際に国王の権力を握る前に)、ブルボン復古王朝が遵守すべき新憲法までさっさと決めてしまった。
タレーランが決めた新憲法は、イギリス的な自由主義的立憲体制であった。ブルボン家はこのリベラルな憲法案を嫌ったが、タレーランは、「ブルボン家がこの憲法を受け入れることが、王制復古の必要条件なのです」と言葉巧みに説得して、新憲法を押しつけてしまった。
アンチ・ナショナリスト(開明的なコスモポリタン)であったタレーランは、鈍感なくせに強情なブルボン家が、以前の絶対主義的君主制をもう一度復活させようと試みることを阻止したかったのである。
同時代の小説家バルザックは、「敗北したフランスが戦勝諸国によって分割される、という悲劇から祖国を救ったのがタレーランだ。ブルボン家を国王に復位させたのも、タレーランだ。そのタレーランに対して、フランス国民は罵詈雑言を浴びせたのである」と記している。