したがって米国でのアカデミー賞は、クライマックスの後味悪い流血惨劇にもかかわらず、ある種のハッピーエンド(貧富手打ち?)になっていたことで安心した結果かもしれない。あっちに気を遣いこっちに気を遣い、ポン監督流の商売上手なしたたかさである。
エンタメ映画だからこれだけヒットした
ポン監督には先に『グエムル』という一種の怪獣映画がある。これも面白い映画で韓国ではヒットしたのに日本では話題にならなかった。ソウルを流れる漢江に怪獣が現われ、中州のヨイド公園で屋台をやっていた家族の娘がさらわれ、その娘を取り戻すため家族ぐるみで怪獣と戦うという話だった。
この映画でも、怪獣は米軍基地から流出した不法廃棄の毒物によって生まれたという想定(『ゴジラ』からのヒント?)で、しかも警察・軍隊など政府は頼りにならないため家族が救出にあたるという“社会性”がちりばめられていた。
「怪獣」と「家族愛」というエンタメ性で人気を博したのだが、批評家は肩に力を入れ反米・反政府モノに見たがっていたように記憶する。ポン監督お得意の手口のようだ。
『パラサイト』も、大衆的に分かりやすく、かつ批評家受けのする「貧富の格差とその対立・葛藤」という図式を装いながら、面白おかしい作り話を、ブラックユーモア風に語って見せたエンタメ映画というのが、まっとうなところではないだろうか。冒頭に紹介した日本の新聞社説のような深刻な「貧困と格差」の映画ではない。だから1000万人を超す韓国人自身が大いに面白がって観たのである。
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