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カネを貸すことで家族に入り込んでいった尼崎事件

 4家族を喰い物にした尼崎事件では、主犯の角田美代子はカネを貸すなどの親切や因縁をつけるなどして家族に入り込んでいっては、些細なことにケチをつけては怒鳴り散らして暴力をふるい、正座をさせるなど屈辱的な状況を続けることで無力化させる。被虐待者は、生活を支配者に頼るようになって逃げようにも逃げられなくなり、社会から断絶し、一般社会と異なる秩序で動くようになってしまう。

 くわえて「生理的な欲求の制限」がなされる。この事件ではマンション8階のベランダの物置き小屋に監禁され、排便も睡眠も自由にできず、生活は1日1食で、角田美代子の機嫌次第では3日に1食となるため、監禁された者は常に顔色をうかがうようになる。

角田美代子らが居住していたマンション ©共同通信社

 こうした状況の力で「私がすべて悪い、美代子が正しい」「美代子は、私のことを本当に心配してくれているんだ」との倒錯した心理になっていく。すると気まずい出来事を避けるためには服従するほうがいいと思うようになり、あとは言われるがままだ。

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目黒虐待死事件にもあった、無力化・断絶化

 目黒虐待死事件の場合はどうか。前述の腹を蹴られた娘をみて「ママはもうあなたを助けられない。パパの方が正しいんだよ」と思うのは無力感の現れであり、離婚などから自分への自信を失い、「正しい」彼に「導かれたい」と願って結婚するのだが、これは一般社会の価値との断絶化であったろう。そうして夫の価値に支配されていく。

 また二人目を妊娠中に弁当を平らげると、夫は「太った女は醜い、自分の母や妹はあんなに食べない」と屈辱を与えるようにして、なじりだす。こうして生理的な欲求は制限がはじまる。モデル体型を目指させられ、食事は残さないと怒られるようになり、そうして残したものを夫に「お願いだから食べてください」と言わせられるのであった。

 ひとひとりの命が失われたのだから、母親への非難はある。刑事法の罪とは別の、母親としてどうなのかとの咎もあろう。『結愛へ』の帯には「なぜ、過酷な日課を娘に強いたのか」「なぜ、誰にも助けを求めなかったのか」といった母親への疑問が列挙されている。これらの「なぜ」はもっともではあるが、そうした一般社会の価値から断絶されたところに母親は行き着いてしまった。この過程を知ることは無益ではあるまい。

結愛へ 目黒区虐待死事件 母の獄中手記

優里, 船戸

小学館

2020年2月7日 発売