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 だが、つくっているあいだに、それではすごく押しつけがましい気がしてきた。そのうちに《胸に残り離れない 苦いレモンの匂い》というフレーズが浮かび、なぜレモンなのかはわからないが、はまりがいいのでタイトルも「Lemon」に変えた。そこからどんどん歌詞を書いていき、歌録りの前日まで修正していたのだが、最後の行がなかなか出てこない。どうしようかと考えながら深夜まで作業していたところ、《切り分けた果実の片方の様に/今でもあなたはわたしの光》というフレーズが浮かんだ。《それが出た瞬間に、『ああ、そういう意味か』って納得がいったんですね。いろんなことをこの曲に教えてもらうというか、なるほどなあっていう。自分でも全然わかってなかったけど、でも『これは絶対“Lemon”だな』って、そこでようやく納得いった感じがありました》(※6)。

2018年にリリースされた「Lemon」。ビルボードジャパンの年間ランキングで2018年、2019年と2年連続で1位を獲得

 曲をつくっている途中には祖父を亡くし、そのことも大きな影響をおよぼしたという。大切な人との別れを「苦いレモンの匂い」「切り分けた果実の片方」と、レモンになぞらえて表現したことは多くの人の共感を呼んだのだろう、ビルボードジャパンの年間ランキングで2018年、2019年と2年連続で1位を獲得するなどロングセラーとなった。YouTubeで公開された「Lemon」のミュージックビデオの再生回数はすでに5億回を超えている。

初めて「音源よりライブのほうが美しい」と思った瞬間

 米津はこの大ヒットを受け、《ボーカロイドから始まって、日本の邦楽ロックに行って、そこからJ-POPに直進していく道の中で『普通になりたい』っていうのがひとつ大きな指針としてあったんですけど、“Lemon”でいわゆる自分と真逆のところの人にまで届くようなものが作れたのは、自分の目標を1個達成できた瞬間だったんですよね》と感慨深げに語った(※7)。これと前後して、DAOKOとの「打上花火」、菅田将暉との「灰色と青」(いずれも2017年)など、ほかのアーティストとのコラボレーションや楽曲提供も盛んに行なうようになった。

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「灰色と青」は、2017年の全国ツアーの追加公演となる翌年1月の日本武道館でのコンサートで、スペシャルゲストとして出演した菅田とともにデュエットされた。米津はこのときのことを、《ああやって一緒に歌う時間があって、初めて完成したような気持ちに自然となれたんで。もしかしたら、初めて自分が『音源よりライブのほうが美しい』と思った瞬間なのかも》と振り返っている(※8)。もともとライブが苦手だった米津だが、徐々に人前でも歌うようになり、アリーナクラスの会場でも堂々とパフォーマンスを見せるまでになった。

 テクノロジーの発達により、1人でもレベルの高い楽曲がつくれるようになった。米津はその方法を極めつつも、途中で省みて、他人との共同作業により作品をつくるスタイルに転じた。そのうえで普遍性を追求しながら、ポップアーティストとして大勢の人から支持を集めている。しかし一方では、オルタナティブな部分を残しているのも、彼の魅力だろう。音楽だけでなく、絵やダンスなど、ほかの表現でも才能を発揮する彼は、これから私たちにどんなものを聴かせ、観せてくれるのだろうか。

DAOKO×米津玄師の「打上花火」(2017年)

※高校卒業後の進路に一部誤りがありました。お詫びして訂正いたします。(3/10 17:10)

※1 『ダ・ヴィンチ』2017年12月号
※2 『ROCKIN'ON JAPAN』2015年11月号
※3 『CUT』2017年9月号
※4 『日経エンタテインメント』2013年7月号
※5 『ROCKIN'ON JAPAN』2012年7月号
※6 『ROCKIN'ON JAPAN』2018年4月号
※7 『CUT』2018年11月号
※8 『ROCKIN'ON JAPAN』2018年5月号