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花電車芸とは、女性器を使って芸をすること “最後の芸人”に秘技はどう受け継がれたのか

『花電車芸人』(角川新書)

2020/03/15

genre : ライフ, 社会, 歴史

note

きっかけは「20歳の時に、渋谷駅の構内で声を掛けられた」

 私はその言葉にハッとさせられた。言われてみれば、第一人者のファイヤーヨーコも、以前のようにコンスタントに劇場に立ち続けているわけではない。彼女は、現在は女性の尿漏れなどを解消するセミナーや様々なイベントを中心に動いており、ストリップ劇場の花電車芸だけで生活しているわけではないのだ。

 ストリップだけを生業にしながら劇場を回っている花電車芸人は彼女を除いてもういない、という言葉はとてつもなく重かった。

 文献なり、様々な土地を歩くことで目にしてきた花電車芸が頭をよぎった。令和の時代に入り、ストリップ劇場における花電車芸はいよいよ最後の時を迎えつつあるのだ。

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 少々大げさすぎるかもしれないが、埼玉の小さなストリップ劇場の楽屋で、芸能史の1ページに関わる話を私はこれから聞こうとしている。華やかな楽屋の中で、ぴりっとした気持ちでまっさらなノートを開いた。

©iStock.com

「ゆきみさんがそもそもストリップをやったきっかけは何だったんですか?」

「20歳の時に、渋谷駅の構内で声を掛けられたんです。その頃はバイトを掛け持ちしていて、ラウンジの仕事が新宿であったので向かっていたところ、スカウトの男の人に『今日、いくらもらえるの?』って聞かれたんです。ちょうどお金が欲しかった時期だったので、その言葉につられてしまって。近くにあった事務所を訪ねると、『ストリップをやってみない』と言われました。とりあえず見学してみればということになり、もう今は無いですが、事務所の人と大阪の十三ミュージックに行きました」

楽しく感じたことは「おじさんたちの表情」

「最初の印象はどうでしたか?」

「劇場はおじさんたちで満員でした。お姐さんたちがポラやオープンショーをやっていたのを覚えています。あなたもやってみたらと、見学だけのつもりが2曲振り付けられて、ステージに出されてしまったんです。ステージを終えて楽屋に戻って来たら、東京から一緒に来た事務所の人がいなくなっていた。初めっから仕組まれていたのかもしれませんね。お姐さんたちがいい人で、楽しかったからよかったですが。誘拐されたようなものでした」

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「演じていて、楽しく感じたことは何だったんですか?」

「おじさんたちの表情でしょうか。何人もの男の人が、真剣な表情で見ているんですよ。あの表情は、日常生活の中では見たことがなかった。それが凄く新鮮で、面白いなと」

「すぐにデビューしたんですか?」