〈花電車芸とは、女性器を使って芸をすること “最後の芸人”に秘技はどう受け継がれたのか〉から続く
花電車芸とは、女性器を使った芸を指す。20年以上にわたり花電車芸を続けてきたゆきみ愛さんが埼玉の小さなストリップ劇場の楽屋で語った、芸人としてのプライドとは。作家・八木澤高明氏が『花電車芸人』(角川新書)で秘史を探った。
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ラッパを吹けることが大切
「すぐに楽屋でこっそり見てしまったことを姐さんにお詫びして、ぜひ私もやりたい、と思いを伝えたんです。そうしたら、おもちゃのラッパを渡されました」
「ラッパですか。それはどういう意味だったんですか?」
「ラッパをアソコで吹くことができれば、まずは第一関門合格ということです。当時は、花電車をやりたい、と姐さんに声を掛けてくる女の子が少なくなかったそうです。本人にやる気があるかどうかを確認する意味と、ラッパが吹けるようになれば、他の芸もやることができるため、ラッパが吹けるようになったらまたいらっしゃい、ということですね」
「ゆきみさんはどれくらいで吹けたんですか?」
「花電車に向いていたのかもしれませんが、その日のステージを終えてやってみたところ、その晩のうちには吹けるようになっていました」
「中にはラッパで挫折する人もいるわけですよね?」
「そうだと思います。私はすぐに吹くことができて、ラッパの芸は、その2日後ぐらいにはステージで披露していました」
「それから、主に花電車をやっていくようになったんですか?」
「そうです。デビューしたのは1990年代のことで、劇場も踊り子も、現在とは比べ物にならないくらい多かったですから、どんどん演じる機会を持つことができ、技を磨いていったんです」
印象に残っている踊り子「すみさくら姐さん」
「どこの劇場が多かったんですか?」
「芦原、道後、山代、伊香保など、温泉場が多かったと思います。関東の劇場だと花電車を知らないお客さんもいたので、関西の方がやりやすかったですね」
「当時は、花電車をやる踊り子さんは多かったんですか?」
「10人ぐらいの踊り子さんが、花電車で全国の劇場を回っていたと思います」
「踊り子さんが多かった時代とはいえ、10人ぐらいしかいなかったんですね。その中で印象に残っている踊り子さんはいますか?」
「すみさくら姐さんです」
「即答ですね。どこが凄かったんですか?」