富岡駅を出発するとすぐに内陸に進路を変えて、海岸線から少し離れて走る。その途上に復活3駅があるわけなのだが、こういうルートを見ていると、震災後の復興計画の過程で内陸移転でもしたのだろうかと思ってしまう。実際、地図上ではいかにもそれっぽい。が、調べてみるとまったくそんなことはなく、常磐線のこの区間が開業した1898年から変わっていない。駅の位置ももちろん同じ。夜ノ森駅もそんな区間の途上にある。
復活1駅目「夜ノ森駅」には何がある?
内陸にあるため、夜ノ森駅は津波の被害は受けていない。だから駅舎は以前と変わらず……と思って降りてみたら、リニューアルされてキレイな駅舎であった。復活に際して1921年の開業以来の木造駅舎は解体されてしまったのだ。小さな改札口を抜けると駅の東西を結ぶ自由通路。そこには「桜咲け つつじ咲け 夜ノ森」と大書された横断幕が掲げられていた。
この横断幕の通り、夜ノ森駅とその周辺は桜とツツジの名所らしい。なんでも、戊辰戦争直後の明治時代に旧中村藩の藩士が桜の木を植えたことに始まるそうで、つまり由緒ある桜の町。“夜ノ森”というなんとも印象的な駅名と春の夜に咲き誇る桜の組み合わせ。実に幻想的に違いない。そしてもうひとつのツツジは、駅前後の区間の土手に植えられていたもの。富岡町がツツジを「町の花」にするほど有名だったとか。が、復旧過程での除染作業で伐採されてしまい、新たに植え直されるというがまだまだ花が咲くまでは時間がかかるとか。こういうところにも、震災の影響は残っているのだ。
ちなみに、この夜ノ森駅を挟んで西側は2017年に避難指示が解除されており、逆に反対の東側は一部の道路を除いて帰還困難区域。なので駅の西に降りると住宅が並んでいてそれなりに人が暮らす気配がある。対して東側は駅前の目抜き通りには建物に沿ってフェンスが設置されていて立ち入ることはできない。
この“帰還困難区域”の現実を、まざまざと見せてくれたのが夜ノ森駅のお隣、大野駅であった。