福島第一原発に最も近い「大野駅」
大野駅は大熊町の代表駅で(というか唯一の駅で)、直線距離では福島第一原発に最も近い駅である。このあたりの駅には放射線量を示す電子掲示板が掲げられているのだが、今回の訪問時は大野駅が復活3駅の中でも最も高く、0.325μSv/h。震災後は「毎年1mSv以下」が“安全基準”とされたようであるが、現在の数字の評価は私には難しい。少しは勉強して詳しくなったつもりだったのだが、もうすっかり忘れてしまっている。当地に暮らしていた人ならばまだしも、東京の人間など得てしてそういうものなのだろう。これが、“風化”というやつか。
大野駅から外に出てみよう。まずは西側へ。なぜかというと、西側の駅前広場に人の影が見えたから。どうやら鉄道ファンの類などではないようだから、なにがしかの話が聞けるのではないか。だがそんな期待はあっさり裏切られてしまった。西口の駅前にいた人たちは工事関係者。一応声をかけてみたが、「こっちの人じゃないからわからないなあ」と一蹴されてしまった。
だが、今の町の雰囲気は話を聞かずともよくわかる。駅前には住宅や商店などが建ち並んでいるのだが、そのすべてが“帰還困難区域”。「帰還困難区域につき通行止め」と書かれた看板が置かれ、フェンスでガッチリとガードされているのだ。そのフェンスの先には、震災のその日まで営業していたのであろうガソリンスタンドや商店がある。飲食店の看板も目に入る。その中にはクルマが止められていて、それは工事関係者のものなのか一時帰宅した地元の人のものなのかはよくわからない。だが、少なくともここにある家や商店はみな、9年前から時が流れていない。震災までは日常の時間が流れていたであろうその町並みからは濃厚な生活感が感じられ、同時にその生活が根こそぎ奪われた現実も突き刺さる。
大野駅の反対側、東側に移ってもそれは同じであった。広大な駅前広場にはクルマひとつ停まっておらず、一角の駐在所はもちろん無人。児童公園が駅前にあるのだが、もちろん子どもたちが遊んでいるわけもなく、フェンスで守られて先に進むことはできない。帰宅困難区域指定が解除されているのは線路と駅、そしてそこに通じるいくつかの道路だけ。その道を通るのも工事関係のダンプカーばかりである。
復活3駅の最後は、双葉町の代表駅である双葉駅だ。どうやらこの3駅の中では双葉駅が中核的な存在のようで、多くの人がこの駅で降りていった。